IP case studies判例研究

平成28年(ワ)第23129号「アスタキサンチンを含有するスキンケア用化粧料」事件

名称:「アスタキサンチンを含有するスキンケア用化粧料」事件
特許権侵害差止等請求事件
東京地裁:平成28年(ワ)第23129号  判決日:平成28年8月30日
判決:請求棄却
条文:特許法100条1項、2項、104条の3第1項、29条2項
キーワード:特許無効の抗弁、進歩性、インターネット上での公開
[事案の概要]
被告製品は本件特許発明の技術的範囲に属すると認定されたものの、被告が主張する特許無効の抗弁(出願日前に公開されていたウェブページに基づく容易想到性)を認め、被告製品の生産等の差止め、損害賠償請求が認められなかった事例。
[事件の経緯]
原告は、特許第5046756号の特許権者である。
原告は、被告の行為が当該特許権を侵害すると主張して、被告の行為の差止め、損害賠償等を求めた。
東京地裁は、原告の請求を棄却した。
[本件発明]
【請求項1】
1-A (a)アスタキサンチン、ポリグリセリン脂肪酸エステル、及びリン脂質又はその誘導体を含むエマルジョン粒子;
1-B (b)リン酸アスコルビルマグネシウム、及びリン酸アスコルビルナトリウムから選ばれる少なくとも1種のアスコルビン酸誘導体;並びに
1-C (c)pH調整剤
1-D を含有する、pHが5.0~7.5のスキンケア用化粧料。
[争点]
1.争点(1):構成要件1-C「pH調整剤」の充足性
2.争点(2):無効理由の有無
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋。)
1 争点(1):構成要件1-C「pH調整剤」の充足性
『本件発明は、アスタキサンチン等を含むエマルジョン粒子(構成要件1-A)、リン酸アスコルビルマグネシウムなどのアスコルビン酸誘導体(同1-B)、pH調整剤(同1-C)、トコフェロール(同3-A)及びグリセリン(同4-A)を含有するスキンケア用化粧料(同1-D)に係る発明であるところ、特許請求の範囲の文言上、「pH調整剤」の具体的な内容については記載がなく、本件明細書には「pH調整剤としては、一般にこの用途で用いられるものであればいずれも該当し」との記載がある(段落【0065】)。これらのことからすれば、「pH調整剤」とは、その字句のとおり、pHを調整する剤をいうと解するのが相当である。
そして、クエン酸は本件明細書においてpH調整剤として例示されているところ(段落【0065】)、証拠(乙2)及び弁論の全趣旨によれば被告製品からクエン酸を取り除くとpHが大きく(被告製品1において約0.6、同2において約0.7)変化することが認められ、被告製品に含まれるクエン酸はpHを調整する機能を有しているということができる。したがって、被告製品は構成要件1-Cを充足するというべきである。
・・・(略)・・・
したがって、被告製品はいずれも本件発明の各技術的範囲に属するものと認められる。』
2 争点(2):無効理由の有無
『(1)乙6発明と本件発明の一致点及び相違点
ア 乙6ウェブページは本件特許の出願前である平成19年6月14日にインターネット上で公開されたものであるから(乙6、弁論の全趣旨)、乙6ウェブページに掲載された乙6発明は日本国内において電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明(特許法29条1項3号)に当たる。
・・・(略)・・・
そうすると、本件発明と乙6発明は、本件発明のpHの値が5.0~7.5の範囲であるのに対し、乙6発明のpHの値が特定されていない点で相違し、その余の点で一致する。
イ これに対し、原告は、当業者は乙6ウェブページに掲載されている内容は原告旧製品の全成分であると認識するところ、原告旧製品のpHの値は7.9~8.3であるから、本件発明と乙6発明の相違点は、本件発明のpHの値が5.0~7.5の範囲であるのに対し、乙6発明のpHの値が7.9~8.3の範囲である点となる旨主張する。
そこで判断するに、原告の上記主張は、原告旧製品自体の成分を検査すればpHの値を知ることができるというにとどまるものであって、本件の関係証拠上、技術常識を踏まえてみても乙6ウェブページに掲載されている内容自体からpHが7.9~8.3であると導くことができるとは認められない。したがって、乙6発明においてpHの値は特定されていないと解するのが相当であって、原告の上記主張を採用することはできない。』
『(2) 相違点の容易想到性
・・・(略)・・・
イ 上記の認定事実によれば、化粧品の安定性は重要な品質特性であり、化粧品の製造工程において常に問題とされるものであるところ、pHの調整が安定化の手法として通常用いられるものであって、pHが化粧品の一般的な品質検査項目として挙げられているというのであるから、pHの値が特定されていない化粧品である乙6発明に接した当業者においては、pHという要素に着目し、化粧品の安定化を図るためにこれを調整し、最適なpHを設定することを当然に試みるものと解される。そして、化粧品が人体の皮膚に直接使用するものであり、おのずからそのpHの値が弱酸性~弱アルカリ性の範囲に設定されることになり、殊に皮膚表面と同じ弱酸性とされることも多いという化粧品の特性に照らすと(前記ア(イ))、化粧品である乙6発明のpHを上記範囲に含まれる5.0~7.5に設定することが格別困難であるとはうかがわれない。
そうすると、相違点に係る本件発明の構成は当業者であれば容易に想到し得るものであると解するのが相当である。
ウ これに対し、原告は、①乙6ウェブページは原告旧製品に関するものであり、●(省略)●その解決手段としては様々なものがあるから、pHを調整するという手段を選択することは容易になし得ない、③乙6発明に含まれるリン酸アスコルビルマグネシウムはpHが酸性~中性の範囲で不安定な成分であることが技術常識であったから、pHの値を酸性側である5.0~7.5に変更することには積極的な阻害要因があった、④本件発明はpHを5.0~7.5の範囲とすることで●(省略)●アスタキサンチンの安定性の大幅な向上という顕著な効果を奏したなどとして、本件発明は進歩性を有する旨主張する。
そこで判断するに、まず、上記①及び②については、前記イで説示したとおり、安定性は化粧品の製造工程において常に問題とされる化粧品の品質特性であり、pHの調整が安定化のための一般的な手法であることからすれば、乙6ウェブページに掲載されている成分リストが販売開始から間もない原告旧製品のものであるとしても、当業者が化粧品の安定性の確保、向上という課題を全く認識しないということはできないし、pHの調整という手法を採用することが困難であったということもできない。
次に、上記③については、原告は乙6発明のpHが7.9~8.3であることを前提にこれを酸性側に変更することの阻害要因を主張するが、そのような前提を採ることができないことは前記(1)イのとおりである。この点をおくとしても、後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件特許の出願当時、(a)リン酸アスコルビルマグネシウム単体の水溶液については、pHが8~9の弱アルカリ性の領域においては安定とされていたが、pHが中性~酸性の範囲においては安定性に問題があるとされていたこと(甲30~32、50~55)、⒝リン酸アスコルビルマグネシウムを含む化粧料について、弱酸性における安定性を改善する手法が検討されており(甲31、50~52、61、乙10の2、25)、実際にリン酸アスコルビルマグネシウムを含有する弱酸性の化粧品が販売されていたこと(乙28、29)が認められる。これら事実関係によれば、リン酸アスコルビルマグネシウムに加え他の成分を含む化粧品については、弱酸性下における安定性の改善が試みられており、現に製品としても販売されていたのであるから、原告が主張するリン酸アスコルビルマグネシウム単体の水溶液が酸性下においてその安定性に問題があるという事情は、乙6発明の美容液のpHを弱酸性の範囲に調整することの阻害要因とならないと解するのが相当である。
上記④については、前記イで説示したとおり、pHの調整が化粧品の安定性を高めるための手法として周知であったことからすると、本件発明の実施例について吸光度の残存率の高さや性状変化の少なさといった経時安定性の測定結果が良好であったとしても(本件明細書の【表4】~【表6】)、●(省略)●予測し得る範囲を超えた顕著な効果を奏するとは認められない。
したがって、原告の上記主張①~④はいずれも採用することができない。
(3)まとめ
以上によれば、本件発明は乙6発明に基づいて容易に発明することができたものであるから、原告は本件特許権を行使することができない。』
[コメント]
本判決では、第三者のウェブページ上での掲載内容(引例)に基づき容易想到とする無効理由が認められている。一方、両当事者間は本件特許の無効審判でも争われており、当該審決では同じ引例に基づき無効理由の存在が否定されている(当該審決の取消訴訟が継続中)。本判決と上記審決では、pHに関する構成の設定の動機づけと有利な効果の各認定で異なる判断がなされたため結論が相違している。
本事件も上訴されており、両事件が継続する知財高裁によりどのような判断がなされるのか注目される。
以上
(担当弁理士:東田 進弘)
[参考]
1.本件特許の無効審判(無効2015-800026)の審決(筆者にて適宜抜粋。)
『ア 相違点の検討
相違点2について検討する。
甲3の1~甲3の6からは、化粧品のpHを弱酸性~弱アルカリ性とすることは技術常識であるように見受けられる。また、甲4の1~甲4の2からは、化粧品のpHのコントロールは化粧品の安定化の一つの手段であることが認識できる。しかし、甲1に記載された「エフ スクエア アイ インフィルトレート セラム リンクル エッセンス」は乙1を参照すれば●(省略)●の化粧品であるといえる。そして、例え上記技術常識があるとしても、引用発明1にかかる技術常識を導入する契機、すなわち、かかる化粧品を弱酸性~弱アルカリ性と設定することの動機づけとなるような記載を甲1から見出すことはできない。このため、上記技術常識や甲4の1~甲4の2の記載事項をもってしても、本件特許発明1が、引用発明1、あるいは引用発明1と甲3の1~甲3の6、甲4の1~甲4の2の記載に基づいて当業者が容易になし得たものとはいえない。
そうすると、相違点1について検討するまでもなく、本件特許発明1は、引用発明1、あるいは引用発明1と甲3の1~甲3の6、甲4の1~甲4の2の記載に基づいて当業者が容易になし得たものとはいえない。
イ 本件特許発明1の効果について
本件特許発明1は、「本発明の分散組成物は、カロテノイド含有油性成分及び、リン脂質又はその誘導体を含むエマルジョン粒子を有する水分散物と、アスコルビン酸又はその誘導体を含む水性組成物と、pH調整剤とを混合することによって得られたpHが5~7.5の分散組成物である。
本発明では、カロテノイド含有油性成分を含み、エマルジョン粒子を有するO/W型エマルジョンである水分散物と、アスコルビン酸又はその誘導体を含む水性組成物とを混合し、更にpHをpH5~7.5とすることにより、カロテノイド含有油性成分の分散安定性とカロテノイドの色味安定性とを共に良好に保つことができ、その結果、保存安定性、特に室温での保存安定性に優れた分散組成物とすることができる。」(【0009】)との記載等からみて、アスタキサンチン(カロテノイド含有油性成分)を含み、エマルジョン粒子を有するO/W型エマルジョンである水分散物と、アスコルビン酸又はその誘導体を含む水性組成物とを混合し、pHを5.0~7.5とすることにより、アスタキサンチンの分散安定性とカロテノイドの色味安定性とを共に良好に保つことを図る効果を奏するものであるが、引用発明1のpHを弱酸性~弱アルカリ性とし、化粧品としての安定化を図ったところで、これによりアスタキサンチンの分散安定性とカロテノイドの色味安定性との両方を良好にすることが明らかであるとはいえず、また、そのことを当業者が予測し得たものとはいえない。
ウ 小括
以上のとおりであって、本件特許発明1は、引用発明1、あるいは引用発明1と甲3の1~甲3の6、甲4の1~甲4の2の記載に基づいて当業者が容易になし得たものではなく、当業者が予測し得ない効果を奏するものであるから、本件特許発明1は、甲1に記載された発明に基づいて、又は、甲1並びに甲3の1~甲3の6及び甲4の1~甲4の2に記載された発明に基づいて当業者が容易になし得たものとはいえない。』
2.アスタキサンチンの構造(富士フイルム社HP)

平成28年(ワ)第23129号「アスタキサンチンを含有するスキンケア用化粧料」事件

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