IP case studies判例研究
審決取消訴訟等
平成29年(行ケ)第10216号「染毛剤」事件
名称:「染毛剤」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成29年(行ケ)第10216号 判決日:平成30年8月22日
判決:審決取消
特許法17条の2第3項
キーワード:新規事項の追加、明確性、実施可能要件
判決文:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/951/087951_hanrei.pdf
[概要]
明細書に具体的に開示されていない、乳化試験機の付属品である撹拌羽根の寸法を追加する補正について、当該撹拌羽根の形状、寸法は、実験用の機械の付属品として変更が加えられたことは一度もないこと等から、当該補正は、新たな技術的事項を導入するものではないと認定されて、当該補正を新規事項であるとした審決を取り消した事例。
[事件の経緯]
原告が、発明の名称を「染毛剤、その使用方法及び染毛剤用品」とする出願をし(特願2011-42737号)、拒絶査定を受けたので、拒絶査定不服審判を請求したところ、特許庁が、請求不成立 (拒絶審決)の審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。
「本件補正発明」
【請求項1】(下線部が審判請求時の補正部分)
アルカリ剤を含有する第1剤と酸化剤を含有する第2剤を含んで構成されると共に、
前記第1剤と前記第2剤の混合液中に、
(A)カチオン性界面活性剤0.05~10質量%、
(B)アニオン性界面活性剤0.1~10質量%、
高級アルコール及びシリコーン類を含む、常温(25℃)で液状である油性成分0.01~1質量%、並びに、
エタノール、イソプロパノール、プロパノール、ブチルアルコール、ベンジルアルコールから選択される溶剤0.1~20質量%を含有し、
その各剤の混合液をノンエアゾールフォーマー容器から泡状に吐出して用いる染毛剤であって、前記ノンエアゾールフォーマー容器から吐出した泡をそのまま下記の特定の撹拌条件下で撹拌したとき、撹拌直後の泡(a)の体積に対する撹拌後40分経過時の泡(b)の体積の比率b/aが0.7~1の範囲内であることを特徴とする染毛剤。
撹拌条件:前記吐出直後の泡150mlを、200ml容で内径がほぼ6cmの円筒形容器(例えばビーカー)に収容する。次いで、日光ケミカルズ(株)製の市販乳化試験器ET-3A型の回転軸に取付けた撹拌羽を、その回転中心が円筒形容器の中心線と一致するように、かつその下端部が円筒形容器の底部との間に僅かなクリアランスを残すように、円筒形容器内部に位置決めする。撹拌羽は、回転中心となる支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設したものである(撹拌羽の左右方向の幅は、全幅58mm、支軸直径6mm、支軸と羽との間隔(隙間)16mm、羽の幅10mmである。)。撹拌羽の回転半径は円筒形容器の半径より僅かに(数mm程度)小さく、対の羽部の上下方向の幅は円筒形容器に収容した泡の液面に達するサイズである。このように撹拌羽を位置決めしたもとで、25℃の雰囲気中、撹拌羽を150rpmの回転速度で3分間回転させ、泡を撹拌する。
[取消事由]
取消事由1 新規事項追加の判断の誤り
取消事由2 明確性要件違反の判断の誤り
取消事由3 実施可能要件違反の判断の誤り
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
2 取消事由1(新規事項追加の判断の誤り)について
『審決は、特定事項aを本願の請求項1に追加することが新たな技術的事項を導入するものであって、これを含む本件補正は却下すべきと判断するので、以下、検討する。
(1)判断の前提となる事実
以下の各証拠及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。
ア 撹拌条件に関する当初明細書の記載(甲1)
「【課題を解決するための手段】
【0011】更に第1発明において「特定の撹拌条件下で撹拌」とは、泡状に吐出した染毛剤を「手で揉み込むようにして頭髪に適用する」という操作を、判定基準としての客観的統一性を持たせた機械的な撹拌操作に置き換えたものであり、具体的には以下の条件下での撹拌を言う。
【0012】即ち、ノンエアゾールフォーマー容器から染毛剤の各剤の混合液を泡状に吐出し、その150mlを、200ml容で内径がほぼ6cmの円筒形容器(例えばビーカー)に収容する。次いで、日光ケミカルズ(株)製の市販乳化試験器ET―3A型の回転軸に取付けた撹拌羽を、その回転中心が円筒形容器の中心線と一致するように、かつその下端部が円筒形容器の底部との間に僅かなクリアランスを残すように、円筒形容器内部に位置決めする。撹拌羽は、回転中心となる支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設したものである。撹拌羽の回転半径は円筒形容器の半径より僅かに(数mm程度)小さく、対の羽部の上下方向の幅は円筒形容器に収容した泡の液面に達するサイズである。
【0013】このように撹拌羽を位置決めした下で、25℃の雰囲気中、撹拌羽を150rpmの回転速度で3分間回転させ、泡を撹拌する。この撹拌条件下で撹拌した直後の泡の状態は、同上のノンエアゾールフォーマー容器から吐出した泡をウィッグに揉み込んで適用した場合の平均的な泡の状態との比較において、泡の外観や泡の液化挙動等がほぼ同じであることが実験的に確認されている。」
イ ET-3A及び本件撹拌羽根に関する事実
(ア)ET-3Aは、乳化試験等に用いる実験用の機械であり、日光ケミカルズは、昭和60年頃から現在まで継続してET-3Aを販売しており、その累計出荷台数は平成30年5月11日現在で301台である。(甲13、18)
(イ)日光ケミカルズが販売するET-3Aには、100、200、300、500mlの大きさのビーカーにそれぞれ対応した、4種類の本件撹拌羽根が付属品として必ず添付されており、その形状、寸法は発売開始当初から現在までの間に変更されていない上、これまでに顧客の要望に応じて撹拌羽根の形状、寸法が変更されたということもない。(甲13、18)
本件撹拌羽根は、4種類いずれもが回転中心となる支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設したものであり、原告が所持している200mlビーカー用の本件撹拌羽根13本の寸法は以下のとおりである。(甲13、14、甲15の1)
・・・(略)・・・
(ウ)日光ケミカルズが平成17年7月頃に作成したカタログには、上記のように支軸の下端から「山」の字を構成する形態で対の羽部が延設された形状をした本件撹拌羽根を装着した状態のET-3Aの写真が掲載されている。また、平成26年12月13日に作成された新しい日光ケミカルズのカタログにも、ET-3Aの付属品として、「付属品 ・攪拌羽根(ビーカー200ml用)、ビーカークランプ 各3set」などとして、4種類の本件撹拌羽根が写真入りで記載されている。(甲13)
(エ)ET-3Aにおいては、本件撹拌羽根以外にも支軸直径が6mmである別の撹拌羽根を使用することが可能であり、実際にET-3Aに取付け可能な撹拌羽根が何種類か市販されている。しかし、市販されているいずれの撹拌羽根も本件撹拌羽根とはその形状が異なっており、本件撹拌羽根のように支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設するような形状のものはなく、したがって、支軸直径を除く寸法も同じではない。(乙5)
(2)判断
ア 新たな技術的事項導入の有無について
特許請求の範囲等の補正は、願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならないところ(特許法17条の2第3項)、上記の「最初に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項」とは、当業者によって、明細書、特許請求の範囲又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項を意味し、当該補正が、このようにして導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該補正は「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる(知財高裁平成18年(行ケ)第10563号同20年5月30日特別部判決・判例タイムズ1290号224頁参照)。
これを本件についてみるに、前記で認定したような本願発明において、撹拌羽根の形状、寸法等の撹拌条件は発明特定事項として重要な要素といえるところ、当初明細書等に本件撹拌羽根を用いることは明示されていない。しかし、当初明細書の【0012】には、①撹拌にET-3Aを用いること、②「撹拌羽」は、回転中心となる支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設した「撹拌羽」であること、③「撹拌羽」の回転半径は、内容量が200mlで内径約6cmのビーカー等の円筒形容器の半径(約3cm)より僅かに小さいことが記載されているところ、前記(1)イの事実によると、当初明細書に記載されている上記「撹拌羽」の形状、寸法は、ET-3Aの付属品である200mlビーカー用の本件撹拌羽根のそれと一致するものである。また、前記(1)イの事実によると、ET-3Aは、昭和60年頃から長年にわたって販売されており、多数の当業者によって使用されてきたと推認される実験用の機械であるところ、販売開始以来、付属品である本件撹拌羽根の形状、寸法に変更が加えられたことは一度もなく、しかも、遅くとも平成17年7月頃には、本件撹拌羽根は、ET-3Aとともに日光ケミカルズのカタログに掲載されていた。さらに、当初明細書の記載に適合するような形状、寸法のET-3A用の撹拌羽根が、ET-3A本体とは別に市販されていたことは証拠上認められない。
以上の事実を考え併せると、当業者が、当初明細書等に接した場合、そこに記載されている撹拌羽が、ET-3Aに付属品として添付されている200mlビーカー用の本件撹拌羽根を指していると理解することができるものと認められる。そして、特定事項aは、200mlビーカー用の本件撹拌羽根の実寸法を追加するものであるから、特定事項aを本願の請求項1に記載することが、明細書又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係で新たな技術的事項を導入するものとはいえず、新規事項追加の判断の誤りをいう原告の主張は理由がある。
イ 被告の主張について
被告は、ET-3Aのような乳化試験機において、付属品以外の撹拌羽根を任意に選択して用いることができるのは明らかであるところ、ET-3Aに取付け可能な撹拌羽根が単体で市販されていたり、ET-3Aが付属品なしで取引されていたりすることからすると、当業者が、当初明細書等の記載から、そこでいう撹拌羽根が、200mlビーカー用の本件撹拌羽根を指していると理解することはないなどと主張する。
しかし、前記(1)イのとおり、ET-3Aに取付け可能な撹拌羽根として市販されていることが証拠上確認できるものは、そのいずれもが当初明細書に記載されているような回転中心となる支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設したものではないから、それらの撹拌羽根が市販されているという事実をもって、上記アの認定は左右されない。
また、証拠(乙6の1・2)によると、いわゆるインターネットオークションにおいて、本件撹拌羽根が付属品として添付されていない中古品のET-3Aが取引されている事実は認められるものの、このような取引の事実があったからといって上記アの認定が左右されることはないというべきである。
よって、被告の上記主張はいずれも採用できない。
ウ 小括
以上のとおり、特定事項aは新たな技術的事項を導入するものではなく、特定事項aを本願の請求項1に追加することは願書に添付した明細書、特許請求の範囲及び図面に記載した事項の範囲内においてするものというべきである。審決の明確性及び実施可能性についての判断は、特定事項aの追加が新規事項の追加に当たり、本件補正を却下すべきことを前提としてされたものであるから、特定事項aの追加が新規事項の追加に当たるとした判断の誤りは審決の明確性及び実施可能性についての判断にも影響を及ぼすものといえる。
したがって、審判において、特定事項aの追加が新規事項の追加に当たらないことを前提に、再度、審理・判断を行う必要があるものと認められる。』
[コメント]
本願発明は、「特定の撹拌条件下で撹拌したとき、撹拌直後の泡(a)の体積に対する撹拌後40分経過時の泡(b)の体積の比率b/a」に係る特殊パラメータを所定範囲に制御することに、発明の本質があることから、審査段階、審判段階では、明確性要件違反、実施可能要件違反の指摘に対して種々の補正を行ったが、明細書には撹拌羽根の形状、寸法までは記載していなかったため、撹拌羽根の形状、寸法を請求項に追加したことが新規事項であるとの審決がなされた。一方、本判決では、明細書に記載の撹拌装置の品名と付属品である撹拌羽根との関係等から、前記補正が新たな技術的事項を導入するものではないから、新規事項ではない、と判断されている。
本件は、明細書に開示のない測定条件の一部事項が新規事項ではないとされた特殊な事例であるが、本判決の趣旨からすれば、撹拌羽根の形状、寸法を補正しなくとも明確性要件違反、実施可能要件違反を解消できていたとも考えられなくはない。しかし、特殊パラメータを発明特定事項とする請求項(将来的に請求項になりえる事項)については、本来的には、審査段階、審判段階での明確性要件違反、実施可能要件違反が指摘された場合にも対応できるように、測定結果に影響を及ぼす要因となる測定条件は、明細書には全て記載しておくことが基本であることをしっかりと認識しておきたい。
以上
(担当弁理士:光吉 利之)
平成29年(行ケ)第10216号「染毛剤」事件
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