IP case studies判例研究

令和元年(行ケ)第10118号「局所的眼科用処方物」事件

名称:「局所的眼科用処方物」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:令和元年(行ケ)第10118号 判決日:令和2年6月17日
判決:請求棄却
行訴法33条1項、特許法29条2項
キーワード:判決の拘束力、進歩性、顕著な効果
判決文:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/514/089514_hanrei.pdf
[概要]
 審決取消訴訟の差戻審において、動機付けを判断した前訴判決は、予測できない顕著な効果があるかどうかまで判断したものではなく、この点には、前訴判決の拘束力は及ばないと判断したうえで、本件発明の顕著な効果を認定し、進歩性を肯定した事例。
[事件の概要](前訴判決より前の経緯は省略)
前訴判決(平成25年(行ケ)第10058号)→無効審判再開(特許庁)→訂正請求(被告)→有効審決(特許庁)(第3次審決)→訴訟提起(平成29年(行ケ)第10003号)(原告)→審決取消(差戻前判決)→上告受理申立て(被告)(平成30年(行ヒ)第69号)→破棄差戻→本件訴訟
[事件の経緯]
 被告は特許第3068858号の特許権者である。
 原告(無効審判請求人)が、本件特許に係る無効審判(無効2011-800018号)を請求したところ、請求は成り立たないとの本件審決が下されたため、原告は、その取り消しを求めて出訴したところ、本件審決を取り消す判決(平成29年(行ケ)第10003号、差戻前判決)が下された。被告(特許権者)は上告受理申立てをし、最高裁は、差戻前判決を破棄し、知財高裁に差し戻した(平成30年(行ヒ)第69号)。
 知財高裁は、原告の請求を棄却した。
[本件発明]
【請求項1】(筆者にて括弧内を加筆)
 ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な、点眼剤として調製された眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤であって、治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸(筆者注:本件化合物)またはその薬学的に受容可能な塩を含有する、ヒト結膜肥満細胞安定化剤。
[前訴判決]
 『甲1及び甲4に接した当業者は、・・・KW-4679(本件化合物のシス異性体の塩酸塩)を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあり、その適用を試みる際に、・・・ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有することを確認する動機付けがあるというべきであるから、KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(「ヒト結膜肥満細胞安定化」作用)を有することを確認し、「ヒト結膜肥満安定化剤」の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められる』と判断し、判決は確定した。
[審決(第三次審決)]
 訂正後の本件発明1は第2次審決時と同じである。第3次審決では、前訴判決の拘束力に基づいて本件発明の構成に至る動機づけはあるものと判断した。
 そして、甲1及び甲4からは、本件化合物は「ヒト結膜肥満細胞」に対して優れた安定化効果(高いヒスタミン放出阻害率)を有することを当業者が予測することができないと判断した。さらに優先日後の文献(甲39)に本件化合物の異性体が高濃度での高いヒスタミン放出阻害率を奏することが記載されていていることを参酌し、最大値のヒスタミン放出阻害率を奏する濃度の範囲が非常に広いことも、本件発明の顕著な効果と認定した。そして、これらの効果は当業者が予測することができない顕著なものであるとして、進歩性を肯定した。
[差戻前判決]
 甲39の2000μMを超える高濃度範囲での効果は、本件明細書に記載された範囲を超えるものと認定し、参酌しなかった。そして、本件特許の優先日において、本件特許と異なる化合物(甲20等)について、本件特許より高い濃度範囲にわたって高いヒスタミン放出阻害率を示すことが知られていたことから、本件発明の効果は予測し難い顕著なものであるとはいえないとして、進歩性を否定した。
 さらに、第3次審決には前訴判決の拘束力が及ぶことから、審判官は進歩性についての再度の主張立証を許すべきでなかったとする旨の「付言」がなされた。
[最高裁判決]
 『原審は、・・・本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみから直ちに、本件各発明の効果が予測できない顕著なものであることを否定して本件審決を取り消したものとみるほかなく、このような原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない』と判示し、原判決を破棄して知財高裁に差し戻した。
[主な取消事由]
取消事由1(無効理由2:甲1発明に基づく進歩性判断の誤り)について
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
2.取消事由1(無効理由2:甲1発明に基づく進歩性判断の誤り)について
『(4) ・・・(略)・・・上記のとおり、前訴判決は、本件各発明について、その発明の構成に至る動機付けがあると判断しているところ、発明の構成に至る動機付けがある場合であっても、優先日当時、当該発明の効果が、当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものである場合には、当該発明は、当業者が容易に発明をすることができたとは認められないから、前訴判決は、このような予測できない顕著な効果があるかどうかまで判断したものではなく、この点には、前訴判決の拘束力(行政事件訴訟法33条1項)は及ばないものと解される。
 そこで、本件各発明がこのような予測できない顕著な効果を有するかどうかについて判断する。
 (5) 本件発明1について
 ア ・・・(略)・・・本件発明1における本件化合物の効果として、ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出阻害率は、30μM~2000μMの間で濃度依存的に上昇し、最大値92.6%となっており、この濃度の間では、クロモリンナトリウムやネドクロミルナトリウムと異なり、阻害率が最大値に達した用量(濃度)より高用量(濃度)にすると、阻害率がかえって低下するという現象が生じていないことが認められる。
 イ(ア) まず、本件優先日当時、本件化合物について、・・・(略)・・・この濃度の間では、阻害率が最大値に達した用量(濃度)より高用量(濃度)にすると、阻害率がかえって低下するという現象が生じないことが明らかであったことを認めることができる証拠はない。
 (イ) 次に、ケトチフェンの効果から、本件化合物の効果を予測することができたかどうかについて判断する。
 a ・・・(略)・・・ケトチフェンは、ヒトの場合においては、モルモットの実験結果(甲1)とは異なり、ヒト結膜肥満細胞安定化剤としての用途を備えており、ヒスタミン遊離抑制率は、誘発5分後で67.5%、誘発10分後で67.2%であることが認められる。もっとも、本件優先日当時、ケトチフェンがヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制率について30μM~2000Mの間で濃度依存的な効果を有するのか否かが明らかであったと認めることができる証拠はない。
 なお、甲39は、本件優先日後に公刊された刊行物であって、その記載を参酌してケトチフェンが上記で認定したものを超える効果を有していると認めることはできない。
 b ・・・(略)・・・ネドクロミルナトリウムは、ヒト結膜肥満細胞を培養した細胞集団に対する実験においてヒトの結膜肥満細胞をほとんど安定化しない(本件明細書の表1)が、本件化合物は同実験においてヒトの結膜肥満細胞に対して有意の安定化作用を有することからすると、三環式化合物という程度の共通性では、ヒト結膜肥満細胞に対する安定化効果につき、当業者が同種同程度の薬効を期待する根拠とはならない。
 さらに、・・・(略)・・・ケトチフェンと本件化合物の環構造や置換基は異なるから、上記のとおり比較に用いられていたり、並べて記載されているからといって、当業者が、ケトチフェンのヒスタミン遊離抑制効果に基づいて、本件化合物がそれと同種同程度のヒスタミン遊離抑制効果を有するであろうことを期待するとはいえない。
・・・(略)・・・
 (ウ) さらに、本件優先日当時、甲20、34及び37の文献があったことから、本件化合物のヒト結膜肥満細胞に対する安定化効果をこれらの文献から予測できたかについて判断する。
・・・(略)・・・
 b しかし、本件化合物と、塩酸プロカテロ-ル(甲20)、クロモグリク酸二ナトリウム(甲34)、ペミロラストカリウム(甲37)は、化学構造を顕著に異にするものであり、・・・(略)・・・ヒト結膜肥満細胞に対する安定化効果も、その化学構造に応じて相違することは、当業者が知り得たことであるから、前記aの実験結果に基づいて、当業者が、本件化合物のヒト結膜肥満細胞に対する安定化効果を、前記a記載の化合物と同様の程度であると予測し得たということはできない。
 また、・・・(略)・・・これらの薬剤がヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出阻害率について30μM~2000Mの間で濃度依存的な効果を有するのか否かが明らかであると認めることができる証拠はない。
 したがって、前記aの各記載から、本件化合物のヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出阻害について前記アのような効果を有することを予測することができたということはできない。
・・・(略)・・・
 エ 以上によると、本件発明1の効果は、当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであると認められるから、当業者が容易に発明をすることができたものと認めることはできない。』
[コメント]
 差戻前判決では、「付言」において高速旋回式バレル研磨法事件(最高裁昭和63年(行ツ)第10号)を引用したうえで、進歩性がないとする前訴判決が確定した場合は、当該訴訟で発明の効果について主張をしていなかったとしても、再度の主張立証ができないとされていた。高速旋回式バレル研磨法事件では、「この拘束力は、判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断にわたる」と判示している。進歩性判断における発明の効果の位置づけについては、構成の容易想到性と独立した要件とする独立要件説と、構成の容易想到性の判断の中で二次的に考慮される要素とする二次的考慮説に学説が分かれるところ、発明の顕著な効果の有無が「判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断」であるかは、これまで明確でなかった。また、本件の上告審では、顕著な効果の有無についての判断をしており、前訴判決の拘束力は及ばない立場をとったものと思われるものの、判決の拘束力についての直接の判断はされなかった。本判決は、進歩性の判断において独立要件説的な立場をとったうえで、発明の顕著な効果の有無についての判断がされていない場合には、その点において判決の拘束力は及ばないことを初めて示した。
 実務上は、従来独立要件説に基づいた対応がされていることが多いため、対応上の大きな変更はないものと思われる。
 本判決は、類似性を有する化合物間での効果の有無のバラツキがあることから、構造の類似性があったとしても同種同程度の薬効を期待する根拠とならないことを慎重に判断しており、実務上参考になる。

以上
(担当弁理士:小林 隆嗣)

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