IP case studies判例研究
侵害訴訟等
平成29年(ワ)第24598号「セルロース粉末」事件
名称:「セルロース粉末」事件
特許権侵害差止等請求事件
東京地方裁判所:平成29年(ワ)第24598号 判決日:令和2年3月26日
判決:請求棄却
特許法100条、特許法36条6項1号
キーワード:サポート要件
判決文:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/458/089458_hanrei.pdf
[概要]
本件明細書において、特許請求に記載された本件差分要件の範囲内であれば、所望の効果が得られると当業者において認識できる程度に具体的な例が開示して記載されているとはいえない、という理由により、原告の特許が、特許無効審判により無効にされるものとして、権利を行使することができないとされた事例。
[事件の経緯]
原告は、特許第5110757号の特許権者である。
原告は、被告の行為が当該特許権を侵害すると主張して、被告の行為の差止め等を求めた。
東京地裁は、原告の請求を棄却した。
[本件発明1]
天然セルロース質物質の加水分解によって得られるセルロース粉末であって、平均重合度が150~450、75μm以下の粒子の平均L/D(長径短径比)が2.0~4.5、平均粒子径が20~250μm、見掛け比容積が4.0~7.0cm3/g、見掛けタッピング比容積が2.4~4.5cm3/g、安息角が54°以下のセルロース粉末であり、該平均重合度が、該セルロース粉末を塩酸2.5N、15分間煮沸して加水分解させた後、粘度法により測定されるレベルオフ重合度より5~300高いことを特徴とするセルロース粉末。
[争点]
・争点1~3および5:省略
・争点4:本件特許は特許無効審判により無効にされるべきものか(サポート要件に違反しているか(争点4-2))
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
『(1) 本件差分要件に係るサポート要件違反について
ア 被告は、発明の詳細な説明において本件各発明の実施例には、原料パルプのレベルオフ重合度のみが記載され、本件セルロース粉末のレベルオフ重合度は記載されていないことを指摘した上で、一定の処理によりセルロースのレベルオフ重合度が変化するとの技術常識を前提とすれば、当業者は原料パルプと本件セルロース粉末のレベルオフ重合度が同一であるとは理解できず、本件各発明は発明の詳細な説明に記載されているとは認められないと主張する。
イ 本件明細書の発明の詳細な説明には、以下の記載がある。
・・・(略)・・・
ウ 特許請求の範囲には、当該セルロース粉末について、その平均重合度が本件加水分解条件で加水分解後、粘度法により測定されるレベルオフ重合度より5~300高いという本件差分要件が記載されている。
本件明細書の発明の詳細な説明には、セルロース粉末について、その重合度とレベルオフ重合度の差が5未満では粒子L/Dを特定範囲に制御することが困難となり成型形が低下して好ましくなく、300を超えると繊維性が増して崩壊性、流動性が悪くなって好ましくないと記載されている。しかし、それらの数値に基づく上記の効果等について具体的な例がなくとも当業者が理解することができたことを認めるに足りる証拠はない。そこで、本件明細書の発明の詳細な説明において、特許請求の範囲に記載された上記範囲内であれば所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に、具体的な例が開示して記載されているかを検討する。
ここで、特許請求の範囲には、セルロース粉末(判決文中に誤記があったため筆者にて「粉末」に訂正した)について、その平均重合度とレベルオフ重合度との差についての本件差分要件が記載されている。ところが、本件明細書の実施例には、原料パルプのレベルオフ重合度は記載されており、また、それを加水分解して得られた粉末セルロースの平均重合度は記載されているが、当該セルロース粉末のレベルオフ重合度は記載されていない。また、上記原料パルプのレベルオフ重合度とセルロース粉末のレベルオフ重合度の関係も明示的には記載されていない。そうすると、発明の詳細の説明には、実施例のセルロース粉末について、その平均重合度とレベルオフ重合度との差は明示的には記載されていないこととなる。
この点について、原告は、当業者は、原料パルプのレベルオフ重合度と本件セルロース粉末のレベルオフ重合度は等しくなると当然に理解することができるから、本件明細書には、本件セルロース粉末について、その平均重合度とレベルオフ重合度との差も記載されているのに等しいと主張する。
エ セルロース粉末やレベルオフ重合度について、優先日頃までの文献及びその頃の技術常識等に触れる文献等として、以下のものがある。』
『 発明の詳細な説明の実施例2ないし7のセルロース粉末は、前記のとおり、原料パルプを4N塩酸、40℃、48時間という条件、3N塩酸、40℃、40時間という条件、3N塩酸、40℃、24時間という条件などで加水分解したものであり、天然セルロースを温和な条件で加水分解したものといえる。
前記のとおり、本件では本件加水分解条件によるレベルオフ重合度が問題となるところ、本件加水分解条件を提唱し、本件明細書でも引用しているBATTISTA論文は、上記のとおり、他の複数の研究者による研究成果を紹介した上で、本件加水分解条件によるレベルオフ重合度については、温和な加水分解を経た場合にはその過程を経ていないものに比べて、値が低下することが予想されると述べていた。その内容とは異なり、本件加水分解条件で測定されるレベルオフ重合度について、天然セルロースと、それを温和な条件で加水分解して生成されたセルロース粉末とが同じレベルオフ重合度であるという技術常識があったことを認めるに足りる証拠はない。』
『 これらを考慮すれば、優先日当時、当業者が、本件明細書に記載された原料パルプのレベルオフ重合度とそこから加水分解して生成されたセルロース粉末の本件加水分解条件によるレベルオフ重合度が同じであると認識したと認めることはできない。また、発明の詳細な説明の実施例は、具体的な原料パルプから明細書記載の特定の条件の加水分解、攪拌、噴霧乾燥を経て得られたセルロース粉末である。当業者が、優先日当時、技術常識に基づいて、記載されている当該原料パルプのレベルオフ重合度に基づいて、上記具体的な条件で得られたセルロース粉末について、本件加水分解条件によるレベルオフ重合度の値を認識することができたとも認められない。
以上によれば、本件明細書の発明の詳細な説明には、セルロース粉末について、本件加水分解条件の下でのレベルオフ重合度の記載があるのに等しいとは認められない。』
『キ 以上によれば、本件差分要件は、粉末セルロースについての平均重合度と本件加水分解条件下でのレベルオフ重合度の差に関するものであるところ、明細書の発明の詳細な説明には、実施例について、粉末セルロースの本件加水分解条件でのレベルオフ重合度についての明示的な記載はなく、また、優先日当時の技術常識によっても、それが記載されているに等しいとはいえない。したがって、本件明細書の発明な詳細には、本件特許請求の範囲に記載された要件を満たす実施例の記載はないこととなる。
そうすると、本件明細書の発明な詳細において、特許請求に記載された本件差分要件の範囲内であれば、所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に具体的な例が開示して記載されているとはいえない。
(2) 以上によれば、本件発明1及び2は、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものではないから、特許法36条6項1号に違反する。』
[コメント]
本件明細書の実施例には、原料パルプのレベルオフ重合度が記載されているにとどまり、本件発明1の本件差分要件を構成するレベルオフ重合度(具体的には、「該セルロース粉末を塩酸2.5N、15分間煮沸して加水分解させた後、粘度法により測定されるレベルオフ重合度」)は記載されていなかったところ、被告は、「当業者は原料パルプと本件セルロース粉末のレベルオフ重合度が同一であるとは理解できず、本件各発明は発明の詳細な説明に記載されているとは認められない」と主張してサポート要件違反を主張した。
これに対して、原告は、原料パルプのレベルオフ重合度の記載があれば、その原料パルプから加水分解で得られた本件セルロース粉末のレベルオフ重合度も記載されているのに等しいといえる、と主張したものの、裁判所は、原告の主張ではなく、被告の主張を認め、本件発明1が、サポート要件違反に違反すると判断した。
本件差分要件は、2回目の拒絶理由通知(明確性の拒絶理由)への応答で特許請求の範囲に追加された事項であり、出願時の特許請求の範囲では特定されていなかった事項であるため、本件差分要件は、発明の課題を解決するための手段ではなく、いっそう優れた効果を得るための事項に過ぎない、と位置づけることができると考えられる。
そうであれば、本件差分要件は、いっそう優れた効果を得るための望ましい事項に過ぎないという切り口(具体的には、本件差分要件は、発明の課題を解決するための手段ではなく、いっそう優れた効果を得るための望ましい事項に過ぎないため、本件差分要件の範囲内で、所望の効果が得られると当業者において認識できる程度に具体的な例が記載されている必要はない、という切り口)で主張することも可能であったかもしれない(この切り口での主張は、判決文を見る限り、強くは成されていないと感じた)。このような主張は、本件差分要件と、出願時の特許請求の範囲とで効果を奏するに至る機序が同じでないことを説明できる場合に、それなりに有力だと考えられる。
なお、審査基準には、サポート要件違反に関して、次の例が記載されている。
「例6:請求項には、数式又は数値を用いて規定された物(例えば、高分子組成物、プラスチックフィルム、合成繊維又はタイヤ)の発明が記載されているのに対し、発明の詳細な説明には、課題を解決するためにその数式又は数値の範囲を定めたことが記載されている。しかし、出願時の技術常識に照らしても、その数式又は数値の範囲内であれば課題を解決できると当業者が認識できる程度に具体例又は説明が記載されていないため、請求項に係る発明の範囲まで、発明の詳細な説明において開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえない場合
なお、数値範囲に特徴がある場合ではなく、単に望ましい数値範囲を請求項に記載したにすぎない場合には、発明の詳細な説明にその数値範囲を満たす具体例が記載されていなくても、類型(3)には該当しない。」
ちなみに、本件明細書の「発明の実施の形態」の欄には、本件差分要件が奏する効果についての説明が記載されているところ、たとえばセルロース粉末のレベルオフ重合度を追試することによって、その効果を裏付けることも考えられる、といった意見が判例研究会で出た。
ところで、判例研究会では、争点1(被告製品1が、平均重合度150~450に係る構成要件を充足するか)についても議論したところ、裁判所の判断のうち、「当業者は、・・・(略)・・・本件明細書の記載を、本件測定方法のうち試料の濃度(・・・(略)・・・)を適宜変更する測定方法を含むものと理解し、これにより本件測定方法を用いて平均重合度350を超えるセルロース粉末の平均重合度を測定することができたと認められる。」という部分が参考になる、という意見が出た。
以上
(担当弁理士:森本 宜延)
平成29年(ワ)第24598号「セルロース粉末」事件
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