IP case studies判例研究
審決取消訴訟等
令和4年(行ケ)第10029号「防眩フィルム」事件
名称:「防眩フィルム」事件
特許取消決定取消請求事件
知的財産高等裁判所:令和4年(行ケ)第10029号 判決日:令和5年3月27日
判決:決定取消
特許法29条2項、36条6項2号
キーワード:進歩性、明確性、技術的一体不可分性、合理的な範囲での条件設定
判決文:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/988/091988_hanrei.pdf
[概要]
表面ヘイズの値は、ギラツキと技術的に一体不可分である凹凸の形状を規定し、引用例2は表面ヘイズ値と切り離して内部ヘイズ値を調整することによりバラツキを調整することを示唆しているということはできないと判断され、引用例2の内部ヘイズに基づき、引用発明の内部ヘイズを調整することは容易とした決定を覆し、本件発明の進歩性を肯定した事例。
本件各発明における輝度分布の測定に当たり当業者であれば合理的な範囲で条件を設定して測定するものと推認され、そのような条件を設定して測定した場合に、輝度分布の標準偏差の測定結果に大きな違いが生じることを示す証拠はないから、輝度分布の標準偏差を規定したことにより、本件各発明が、第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるということはできないとして、本件発明の明確性を肯定した事例。
[訂正後の特許請求の範囲]
(1)請求項1
ヘイズ値が60%以上95%以下の範囲の値であり、内部ヘイズ値が0.5%以上8.0%以下の範囲の値であり、且つ、画素密度が441ppiである有機ELディスプレイの表面に装着した状態において、8ビット階調表示で且つ平均輝度が170階調のグレースケール画像として画像データが得られるように調整したときの前記ディスプレイの輝度分布の標準偏差が、0以上10以下の値である防眩層を備える、防眩フィルム。
[決定の理由]
(2) 取消しの理由の概要(本件決定第4)
ア 理由1(進歩性)
本件各発明は、主引用例である引用例1、副引用例又は周知技術を例示する引用例2ないし5に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。
エ 理由4(明確性要件)
本件特許は、特許請求の範囲の記載が特許法36条6項2号に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたものである。
(3) 審判合議体の判断(本件決定第5)
ア 理由1(進歩性)について
(a) 相違点1-1について
引用例2には、ヘイズ値が60%でギラツキが防止された、防眩性を有する光学シートで、内部ヘイズは5~30%であることが好ましいことが記載されているから、ヘイズが60%の引用発明の内部ヘイズを5%とすることは容易である。
エ 理由4(明確性要件)について
画像データを得る際の、有機ELディスプレイと撮像装置との撮像距離、及び、撮像装置のレンズのFナンバーが、どのように一意的に設定されるものであるのか、理解することができない。そうすると、本件発明1の「防眩層」(「防眩フィルム」)は、撮像距離、及び、Fナンバーに応じて変化することとなる。あるいは、同じ「防眩フィルム」であっても、撮像条件によっては、本件発明1の範囲に入ったり、入らなかったりする。したがって、本件発明1は、明確であるということはできない。
[主な争点]
1 取消事由1(進歩性の判断の誤り-取消しの理由1関係)
2 取消事由4(明確性要件の判断の誤り-取消しの理由4関係)
[裁判所の判断]
3 取消事由1(進歩性の判断の誤り-取消しの理由1関係)
イ 取消事由1-1-2(相違点の容易想到性の判断の誤り)について
『引用例2は、解像度の低下を招く可能性のある内部へイズに頼ることなくギラツキを防止することについて、表面凹凸の割合、及び、概ね傾斜角5度以上の領域を示す表面ヘイズを特定の範囲とすることにより、ギラツキを防止するとともに超高精細の表示素子の解像度の低下を防止できること(引用例2の段落【0008】)、大き過ぎずかつ小さ過ぎない範囲の表面ヘイズを有することで、・・・(略)・・・ギラツキをより防止しやすくできること(引用例2の段落【0025】)を開示し、上記の大き過ぎずかつ小さ過ぎない範囲の表面ヘイズの数値範囲として、表面へイズが22ないし40%であること・・・(略)・・・も記載されている(引用例2の段落【0026】)。そして、強度比を規定するとともに、表面ヘイズを規定することにより、凹凸の程度(表面拡散要素)をより具体的に表すことが記載されており(引用例2の段落【0029】)、表面ヘイズの値は、ギラツキと技術的に一体不可分である凹凸の形状を規定するものであるから、引用例2の記載は、表面ヘイズ値と切り離してギラツキを調整することを示唆するものと解することはできない。そうすると、引用例2の「内部へイズは、5~30%であることが好ましく、・・・(略)・・・内部ヘイズを5%以上とすることにより、表面凹凸との相乗作用によりギラツキを防止しやすくでき、30%以下とすることにより、超高精細の表示素子の解像度の低下を防止できる。」(引用例2の段落【0035】)という記載を根拠として、引用例2が、表面ヘイズ値と切り離して内部ヘイズ値を5%程度に調整することによりバラツキを調整することを示唆しているということはできない。』
『引用発明と引用例2の(全体の)ヘイズ値が共通するのは、60%の(全体の)ヘイズ値を有する場合である。本件発明1においては、(全体の)ヘイズ値から内部ヘイズ値を差し引いた値が外部ヘイズ値(表面ヘイズ値)に相当するから(段落【0025】)、(全体の)ヘイズ値が60%である引用発明について、表面ヘイズの値が22ないし40%である光学シートが記載された引用例2が、内部ヘイズ値として示唆するのは、60%の(全体の)ヘイズ値のときに取り得る20ないし38%・・・(略)・・・の内部ヘイズ値である。そうすると、引用発明に引用例2を組み合わせても、内部ヘイズ値を20%よりも小さい値とすることを当業者が容易に想到することはできない。』
6 取消事由4(明確性要件の判断の誤り-取消しの理由4関係)について
『(1) 特許を受けようとする発明が明確であるか否かは、特許請求の範囲の記載だけではなく、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し、また、当業者の出願当時における技術常識を基礎として、特許請求の範囲の記載が、第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かという観点から判断するのが相当である。
(2)ア これを本件において検討するに、表面に本件各発明に係る防眩フィルムを装着したディスプレイの輝度分布の標準偏差の値(ギラツキ値)は、・・・(略)・・・防眩フィルムの凹凸形状を規定しているといえる。
一方、上記ディスプレイの輝度分布の標準偏差を得る際に、測定条件の設定の仕方が適切でない場合に、同じ防眩層を有するフィルムを用いて測定したディスプレイの輝度分布の標準偏差が変動することがあり得るとすれば、同じ防眩層を有するフィルムを測定しても、測定結果である標準偏差が0以上10以下の範囲に入ったり入らなかったりすることがあり得ることとなる。しかし、当業者であれば、測定結果に変動が生じないように測定条件を設定しようとすると解され、本件各発明の輝度分布の標準偏差を得るに当たり、測定結果に変動が生じないように測定条件を設定することが不可能であることを示す証拠はない。また、・・・(略)・・・当業者が、およそディスプレイのユーザが感じるギラツキとの乖離が著しくなるような条件で本件各発明の輝度分布を測定するものと解することはできない。
そうすると、本件各発明における輝度分布の測定に当たり設定可能な条件には、同じ防眩フィルムに関する測定結果が変動せず一定になるように設定すること、ディスプレイのユーザが感じるギラツキとの乖離が著しくならないように、ユーザがギラツキを感じることが少ないときに輝度分布の標準偏差が小さくなるように設定すること等の制限があるということができ、当業者であればこれらの制限のもとで合理的な範囲で条件を設定して測定するものと推認される。そして、そのような条件を設定して測定した場合に、輝度分布の標準偏差の測定結果に大きな違いが生じることを示す証拠はないから、輝度分布の標準偏差を規定したことにより、本件各発明が、第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるということはできない。』
[コメント]
進歩性の判断について、審判合議体が、引用例2には、ヘイズ値が60%でギラツキが防止された防眩性の光学シートで、内部ヘイズとして5~30%が好ましいと記載されているから、ヘイズが60%の引用発明の内部ヘイズを5%とすることは容易であるとしたことに対し、裁判所は、引用例2の記載によれば、表面ヘイズの値は、ギラツキと技術的に一体不可分である凹凸の形状を規定するものであるから、表面ヘイズ値と切り離してギラツキを調整することを示唆するものと解することはできないと断じた上で、(全体の)ヘイズ値が60%である引用発明について、表面ヘイズの値が22ないし40%である光学シートが記載された引用例2が、内部ヘイズ値として示唆するのは20ないし38%の内部ヘイズ値であるから、本件発明1の内部ヘイズに容易に想到することはできないと判断した。
引用発明では防眩性ハードコートフィルムのヘイズ値を60%以上とするのに対し、引用例2ではヘイズが25~60%であることが好ましいとしており、ヘイズの値の方向性が真逆であることを併せて考慮すると、両引用例を組み合わせる動機付けが希薄であると言わざるを得ず、裁判所の判断は妥当であると考える。特許権者(又は出願人)としては、引用例における構成と特性との技術的一体不可分性を主張することにより、引用例において問題となっている構成の引用発明への適用を否定する材料とし得る点で興味深い。
明確性の判断について、本件発明1において、「画素密度が441ppiである有機ELディスプレイの表面に装着した状態において、8ビット階調表示で且つ平均輝度が170階調のグレースケール画像として画像データが得られるように調整」するために、当業者であれば、明細書や技術常識から、標準偏差の測定結果が安定した値を示すように、Fナンバー(しぼり)や撮影距離、露光時間又はディスプレイの全画素の輝度について合理的な範囲で調整するから、第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるということはできないとした。一般に、測定条件が欠如する場合には出願人や特許権者に不利益に働くことが多いところ、そのような場合であっても当業者であれば明細書や技術常識から合理的な範囲で条件を定めることができるとの主張を行うことが肝要である。
以上
(担当弁理士:藤井 康輔)
令和4年(行ケ)第10029号「防眩フィルム」事件
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