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令和4年(行ケ)第10109号「防眩フィルム」事件

名称:「防眩フィルム」事件
特許取消決定取消請求事件
知的財産高等裁判所:令和4年(行ケ)第10109号 判決日:令和5年10月5日
判決:決定取消
特許法36条4項1号、同条6項1号
キーワード:実施可能要件、サポート要件
判決文:https://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/560/092560_hanrei.pdf

[概要]
本件明細書には、防眩フィルムについて、凹凸の急峻性を生み出す原理とその具体的方法、原材料から製造の工程、実施例等が記載されている等の理由により、実施可能要件及びサポート要件を充足しないとした決定が取り消された事例。

[特許請求の範囲]
【請求項1】
ヘイズ値が50%以上99%以下の範囲の値であり、平均粒径が0.5μm以上5.0μm以下の範囲の値に設定された複数の微粒子を含む防眩層を備え、
前記防眩層には、前記複数の微粒子の凝集が分散しており、分散した前記複数の微粒子の凝集により、前記防眩層の表面に凹凸の分布構造が形成され、
画素密度が441ppiである有機ELディスプレイの表面に装着した状態において、8ビット階調表示で且つ平均輝度が170階調のグレースケール画像として画像データが得られるように調整したときの前記有機ELディスプレイの輝度分布の標準偏差が0以上6以下の範囲の値であり、且つ、光学櫛幅0.5mmの透過像鮮明度が0%以上60%以下の範囲の値である、
防眩フィルム。

[本件決定の理由(実施可能要件)]
たとえ技術常識を参酌したとしても、第2実施形態の一般記載並びに実施例5の記載及び比較例1、4~9の記載に基づいては、平均粒径が0.5μm以上5.0μm以下の範囲の複数の微粒子を含み、分散した複数の微粒子の凝集により、防眩層の表面に凹凸の分布構造が形成された防眩層を備えるという条件を満たし、かつ、実施例5の特定の3条件以外の値の本件3条件の数値範囲をくまなく満たす、種々の防眩フィルムを、どのように製造すればよいのかを当業者が理解することは困難である。例えば、・・・(略)・・・上記①、②のような光学特性の防眩フィルムをどのように製造するのかを、十分な具体例の開示なくして当業者が理解することは困難であり、単に添加する微粒子の種類及び含有量を調整することで上記の防眩フィルムが得られると当業者が認識することはない、あるいは、得るためには相当の試行錯誤が必要とされることは明らかである。

[本件決定の理由(サポート要件)]
しかしながら、課題を解決するための手段に関連する本件明細書【0009】~【0011】、【0014】~【0016】の記載、第2実施形態の一般記載、実施例5の記載及び比較例1、4~9の記載及び本件出願時の技術常識に基づいては、本件3条件を満たす、第2実施形態による防眩フィルムをどのように製造することができるのかを当業者が理解することは困難である。
そうすると、出願時の技術常識に照らしても、請求項1に係る発明の範囲(本件3条件に係る数値範囲の全ての範囲)まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえない。

[主な争点]
実施可能要件に関する判断の誤り(取消事由2)
サポート要件に関する判断の誤り(取消事由3)

[裁判所の判断]
『2 取消事由2(実施可能要件に関する判断の誤り)について
(1) 特許法36条4項1号は、特許による技術の独占が発明の詳細な説明をもって当該技術を公開したことへの代償として付与されるという仕組みを踏まえ、発明の詳細な説明の記載につき実施可能要件を定める。このような同号の趣旨に鑑みると、発明の詳細な説明の記載が実施可能要件を充足するためには、当該発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて、当業者が過度の試行錯誤を要することなく、特許を受けようとする発明の実施をすることができる程度の記載があることを要するものと解される。
(2) そこで検討するに、まず前提として、本件明細書記載の第1実施形態により本件3条件を満たす防眩フィルムを製造することができることは争いがないところ、被告は、本件特許発明は第2実施形態に係る防眩フィルムであって、第1実施形態は本件特許発明に含まれない旨主張する。
しかし、本件明細書で第1実施形態を説明する【0056】の「防眩層3は、マトリクス樹脂中に分散された複数の微粒子(フィラー)を含んでいてもよい。」との記載、【0058】の「微粒子の平均粒径は特に限定されず、例えば、0.5μm以上5.0μm以下の範囲の値に設定できる。」との記載及び【0059】の「微粒子の平均粒径が小さすぎると、防眩性が得られにくくなり、大き過ぎると、ディスプレイのギラツキが大きくなるおそれがあるため留意する。」との記載を参酌すれば、第1実施形態には、スピノーダル分解による凝集と微粒子の凝集の両方により表面に凹凸の分布構造が形成されている防眩層を備える防眩フィルムが含まれているといえる。したがって、本件特許発明においては、スピノーダル分解による凝集のみにより表面に凹凸の分布構造が形成されている防眩層は含まないが、スピノーダル分解による凝集と微粒子の凝集の両方により表面に凹凸の分布構造が形成されている防眩層は排除されていないのであり、第1実施形態に係る防眩フィルムが本件特許発明に含まれないとする被告の主張は採用できない。
(3) 以上を前提に実施可能要件の充足性について検討するに、第1実施形態は、防眩層の凹凸を縮小するだけでなく、防眩層の凹凸の傾斜を高くして凹凸を急峻化するとともに、凹凸の数を増やすことにより、ディスプレイのギラツキを抑制しながら防眩性を向上させるものである(【0078】)。第1実施形態と、第2実施形態とは、上記原理を共通にし、第1実施形態では、スピノーダル分解によって凹凸を防眩層に形成するのに対し、第2実施形態では、複数の微粒子を使用し、防眩層の形成時に微粒子とそれ以外の樹脂や溶剤との斥力相互作用が強くなるような材料選定を行うことで、微粒子の適度な凝集を引き起こし、急峻且つ数密度の高い凹凸の分布構造を防眩層に形成するという点において異なる(【0079】、【0080】)。
そして、本件明細書には、第1実施形態に関して本件3条件に係る防眩層の特性は、溶液中の樹脂組成物の組み合わせや重量比、調製工程、形成工程、硬化工程の施工条件等を変化させることで形成できるものであることが記載されており(【0068】)、第2実施形態について、微粒子や、防眩層を構成するマトリクス樹脂の材料(【0086】~【0094】)、マトリクス樹脂と微粒子との屈折率差(【0081】)、粒径(【0082】)、防眩層におけるマトリクス樹脂と微粒子の割合(【0085】)、製造方法(【0095】~【0102】)、調製に使用する溶剤(【0096】)が具体的に記載されるとともに、実施例5においては、シリカ粒子がブタノールに対して斥力相互作用を生じたことにより、凹凸構造が強調されること(【0188】)が、記載されているから、当業者は、第1実施形態に係る【0186】及び【0187】の記載に加え、【0068】及び【0079】の記載を併せ考えれば、各生産工程における条件の適切な設定や、アクリル系紫外線硬化樹脂とアクリル系ハードコート配合物Aを共存させること等の調整を行うことによって、第2実施形態に関して、実施例として記載された防眩フィルムをはじめとする様々な特性の防眩フィルムを得られることを理解するものということができる。したがって、仮に本件特許発明が、微粒子の凝集のみにより表面に凹凸の分布構造が形成された防眩層を備える防眩フィルムであるとしても、当業者は本件特許発明に係る防眩フィルムを製造することができるといえる。
被告は、凹凸を形成する方法(原理)が異なれば凹凸の形成に適した材料は異なり、それに伴い斥力相互作用が生じる材料の組み合わせも異なるから、微粒子とそれ以外の樹脂や溶剤との斥力相互作用が強くなるような材料選定についての手がかりは本件明細書に開示されていないと主張する。しかし、微粒子の凝縮によって形成される凹凸構造の形状は、スピノーダル分解の凝集が進行したことによる上記液滴相構造の形状と同様のものであると解されるから、第1実施形態の凹凸構造を参考にできるものと解される。そして、上記のとおり、本件明細書には、本件特許発明に係る特性を導く上で主要な構造となる凹凸の急峻性を生み出す原理とその具体的方法、原材料から製造の工程に係る記載があり(特に【0079】)、当業者は、微粒子の凝集を用いてより急峻な凹凸を形成する場合には、微粒子の重量部を大きくし、さらに必要に応じてブタノールの重量部を大きくし、斥力を大きくするなどして、通常の試行錯誤の範囲内で、シリカ粒子やブタノールの量などを具体的に決定し、その実施品を作ることができるものというべきである。
・・・(略)・・・
(5) 以上によれば、本件明細書には、当業者がその記載及び出願当時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、本件特許発明に係る物を製造し、使用することができる程度の記載があるものと認められ、当業者が本件特許発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されたものであると認められる。
したがって、本件明細書につき実施可能要件を充足しないとした本件決定の判断には誤りがあり、取消事由2には理由がある。』

『3 取消事由3(サポート要件に関する判断の誤り)について
・・・(略)・・・本件特許発明は、良好な防眩性を有しながらディスプレイのギラツキを抑制できると共に、高い透過像鮮明度の設計自由度を有する防眩フィルムを提供することを目的とする(【0008】)。
ヘイズ値が50%以上あれば良好な防眩性は確保でき(【0011】)、ヘイズ値と透過像鮮明度との間には一定の相関関係があるから、適宜ヘイズ値を変動させることにより、透過像鮮明度も調整することができる。
ディスプレイのギラツキを抑制しながら防眩性を向上させるには、防眩層の凹凸を縮小するだけでなく、防眩層の凹凸の傾斜を高くして凹凸を急峻化すると共に、凹凸の数を増やせばよい(【0078】)。
そして、上記のような防眩フィルムについて、本件明細書には、凹凸の急峻性を生み出す原理とその具体的方法、原材料から製造の工程、実施例等が記載されていることは前記2(3)のとおりであるから、当業者は、その記載及び技術常識に基づき、特許請求の範囲に記載された範囲において、本件特許発明の課題を解決できると認識できるということができる。
(3) したがって、本件特許発明につきサポート要件を充足しないとした本件決定の判断には誤りがあり、取消事由3には理由がある。』

[コメント]
本件特許発明は、ヘイズ値、輝度分布の標準偏差、及び透過像鮮明度の3条件が特定範囲の防眩フィルムに関するパラメーター発明である。
本件決定では、本件発明に係る「前記防眩層には、前記複数の微粒子の凝集が分散しており、分散した前記複数の微粒子の凝集により、前記防眩層の表面に凹凸の分布構造が形成され」との発明特定事項を満たす具体例は、第2実施形態に係る実施例5のみと判断したうえで、第2実施形態の一般記載並びに実施例5の記載及び比較例1等の記載からは、上記の3条件の数値範囲をくまなく満たす、種々の防眩フィルムを、どのように製造すればよいのかを当業者が理解することは困難であるという等の理由により、実施可能要件(及びサポート要件)を充足しないと判断した。
これに対し、本件判決では、本件明細書の記載からすると、第1実施形態も本件特許発明に含まれるため、当業者は、第1実施形態に係る記載を考えれば、各生産工程における条件の適切な設定や、アクリル系紫外線硬化樹脂とアクリル系ハードコート配合物Aを共存させること等の調整を行うことによって、第2実施形態に関して、実施例として記載された防眩フィルムをはじめとする様々な特性の防眩フィルムを得られることを理解するものということができる等と判断し、上記の決定を取り消した。
本件決定と判決において、実施可能要件(及びサポート要件)の充足を検討する前提として、第1実施形態と第2実施形態との関係の解釈の相違により、両者の判断が異なったと考察される。一方で、本件明細書では、全体を通じて、パラメーターの技術的意義の説明、所望のパラメーターのものが得られる具体的なガイダンス、パラメーターの数値範囲の上下値付近における実施例及び比較例を準備していることを踏まえれば、判決の結論は妥当なものと思われる。

以上
(担当弁理士:片岡 慎吾)

令和4年(行ケ)第10109号「防眩フィルム」事件

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