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令和4年(行ケ)第10097号「アミノシラン」事件

名称:「アミノシラン」事件
審決(無効・不成立)取消請求事件
知的財産高等裁判所:令和4年(行ケ)第10097号 判決日:令和6年1月16日
判決:請求棄却
特許法29条1項3号
キーワード:引用発明の認定、化学物質
判決文:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/666/092666_hanrei.pdf

[概要]
甲1にジイソプロピルアミノシランという化学物質名称が記載されているものの、当業者が創作能力を発揮するまでもなく、技術常識に基づいて、これの製造方法その他の入手方法を見いだすことができたとはいえないとして、ジイソプロピルアミノシランを「刊行物に記載された発明」と認定することはできないとされた事例。

[特許請求の範囲]
【請求項1】
以下の式により示されるアミノシラン。
【化1】
((CH3)2CH)2NSiH3

[主な取消事由]
甲1に基づく新規性欠如の判断の誤り(取消事由1)

[裁判所の判断]
『 ウ 甲1に記載された発明の化学物質として「ジイソプロピルアミノシラン」を特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」に認定することの可否
(ア) 判断基準
a 特許法29条1項は、同項3号の「特許出願前に・・・頒布された刊行物に記載された発明」については特許を受けることができないと規定・・・(略)・・・するものであるところ、上記「刊行物」に物の発明が記載されているというためには、同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが、発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項)に鑑みれば、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に、当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。
特に、少なくとも化学分野の場合、化学物質の化学式や名称を、その製造方法その他の入手方法を見いだせているか否かには関係なく、形式的に表記すること自体可能である場合もあるから、刊行物に化学物質の発明としての技術的思想が開示されているというためには、一般に、当該化学物質の構成が開示されていることに止まらず、その製造方法その他の入手方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。また、刊行物に製造方法その他の入手方法を理解し得る程度の記載がない場合には、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるというべきである。
b 以上を前提として検討するに、上記イ(エ)のとおり、甲1には、実質的に「SiH3[N(C3H7)2]」との化学式に対応した化学物質の名称である「ジイソプロピルアミノシラン」が記載されているといえるものの、甲1によってもその製造方法その他の入手方法を理解し得る程度の記載は見当たらない。
したがって、甲1に記載された発明の化学物質として「ジイソプロピルアミノシラン」を認定するためには、甲1に接した本件優先日前の当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日前の技術常識に基づいて、「ジイソプロピルアミノシラン」の製造方法その他の入手方法を見いだすことができたといえることが必要である。
(イ) 「ジイソプロピルアミノシラン」の製造方法その他の入手方法に関する技術常識の検討
a 原告が本件審判で本件優先日前のアミノシランを製造する方法に関する技術常識の根拠として提示をした甲12及び甲16には、それぞれ以下の記載がある。  ・・・(略)・・・
b そして、甲12及び甲16の上記各記載事項によると、ジメチルアミノシランやジエチルアミノシランが、ジメチルアミンやジエチルアミンと、ヨードシランやクロロシランの反応により製造できること、当該反応は気相中、室温下で進行することについては、本件優先日前の技術常識であったといえる。他方、「ジイソプロピルアミノシラン」の製造方法が本件特許の優先日前に知られていたことを認めるに足りる証拠はない。
c ・・・(略)・・・原告が本件優先日当時のアミノシラン類の合成に係る技術常識を示すものとして提出する甲202においても、「ジイソプロピルアミノシラン」の合成方法に関する文献の記載がないことに加え、甲202に挙げられている合成方法に関する文献が記載されたアミノシラン類の7つの化合物(ジメチルアミノシラン、ジエチルアミノシラン、ジフェニルアミノシラン、1-アゼチジニルシラン、1-ピロリジニルシラン、1-ピロリルシラン、1-ピペリジニルシラン)の合成方法や条件を比較しても化合物によって合成の反応条件が異なることからも、仮に反応式が一般化できたとしても、当業者にとって、その下位概念に含まれる化合物の合成方法が直ちに理解できるとか、又は技術常識であったとまでは認められない。
d そうすると、本件優先日前において、甲12及び甲16に記載されるように、メチルアミノシランやジエチルアミノシランが、ジメチルアミンやジエチルアミンと、ヨードシランやクロロシランの反応により製造できることは技術常識であったとしても、ジイソプロピルアミノシランを製造できることまでは知られていなかったものといえる。  e さらに、甲101の1・2は、被告の分割前の会社であるエア プロダクツアンド ケミカルズ インコーポレイテッド(本件特許登録時における特許権者)が、本件優先日の翌年の2006年(平成18年)9月27日に、ジイソプロピルアミノシランをCAS(・・・(略)・・・)に登録し、「公に公開されることを認め、了解します」と陳述したものであって、それ以前にジイソプロピルアミノシランがCASに登録された事実はうかがわれないこと、本件優先日やCASの登録の2006年以降、DIPASが記載された文献が増えており(甲138)、本件出願の公開やCASの登録が契機となってDIPASに関連する文献が公表されることになったものと認められる。
そして、このほか、本件優先日前の当業者が、ジイソプロピルアミノシランの製造方法その他の入手方法を容易に見いだすことができたと認めるべき事情はうかがわれない。
(ウ) 小括
以上によると、甲1に接した本件優先日前の当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日前の技術常識に基づいて、ジイソプロピルアミノシランの製造方法その他の入手方法を見いだすことができたとはいえない。
・・・(略)・・・
したがって、甲1に記載された発明の化学物質として「ジイソプロピルアミノシラン」を、特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」と認定することはできない。
よって、甲1に記載された発明として「ジイソプロピルアミノシラン」が記載されていることを前提とする原告の主張はいずれも理由がない。  エ 本件審決が認定した甲1発明及び甲1’発明について
(ア) 本件審決は、甲1に記載された発明として、次の発明を認定している。
甲1発明
「Rとしてアルカンを用いたSiH3[NR2]系の有機アミノシラン。」
・・・(略)・・・
(イ) 甲1(【0008】~【0010】、【0022】)によると、有機金属気相成長法による、シリコンがドープされた化合物半導体層の形成に用いられるシリコン原料としての有機アミノシラン系の原料が記載され、有機アミノシラン系の原料として、Rとしてアルカンを用いたSiH3[NR2]系の原料が記載されていることが、また、SiH3[NR2]系の有機アミノシランは、甲12や甲16に記載の技術常識から、その一例であるジメチルアミノシランやジエチルアミノシランの製造方法を見いだすことができたことが認められる。
以上によると、本件審決における甲1発明及び甲1’発明の認定内容に誤りがあるとはいえない。
また、甲1発明及び甲1’発明は、上記ウ(ア)のとおり、「刊行物に製造方法その他の入手方法を理解し得る程度の記載がない場合には、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるというべきである。」との前提において、刊行物に記載された発明としての内容を把握すべきものといえるから、一見すると、甲1発明及び甲1’発明の有機アミノシランに包含されるような化合物であっても、上記前提を満たさないものについては、刊行物に記載された発明としての甲1発明及び甲1’発明の有機アミノシランには包含されないものと解される。
したがって、本件審決の新規性の判断における「甲1には、「SiH3[N(C3H7)2]」で示される「ジイソプロピルアミノシラン」という化学物質の発明が記載されているとは認められないとして、甲1発明に「「SiH3[N(C3H7)2]」で示されるジイソプロピルアミノシラン」を包含しないとする認定判断に誤りがあるとはいえない。』

[コメント]
裁判所は、刊行物に化学物質の発明が記載されているというためには「構成が開示されていることに止まらず、その製造方法その他の入手方法を理解し得る程度の記載があることを要する」であり、「ない場合には、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要である」という判断基準の下、ジイソプロピルアミノシランを刊行物に記載された発明と認定することはできないと判断した。この判断基準は「5-アミノレブリン酸リン酸塩」事件(令和4年(行ケ)第10091号)でも使用されたものである。
その判断に至る過程で裁判所は、「化合物によって合成の反応条件が異なることからも、仮に反応式が一般化できたとしても、当業者にとって、その下位概念に含まれる化合物の合成方法が直ちに理解できるとか、又は技術常識であったとまでは認められない。」と判断した。この判断は、ある化学物質の製造方法を当業者が創作能力の発揮なしで見いだすことができたか否かを見極める際に参考とすることができるかもしれない。
裁判所は、審決と同様、甲1発明「Rとしてアルカンを用いたSiH3[NR2]系の有機アミノシラン。」がジイソプロピルアミノシランを包含しないと認定した。この認定手法、すなわち、ジイソプロピルアミノシランの上位概念である甲1発明を認定したうえで甲1発明がジイソプロピルアミノシランを包含しない、という認定手法は、引用発明の認定手法の一例として参考になる。
以上
(担当弁理士:森本 宜延)

令和4年(行ケ)第10097号「アミノシラン」事件

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