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審決取消訴訟等
令和7年(行ケ)第10009号等「5-アミノレブリン酸リン酸塩、その製造方法及びその用途」事件
名称:「5-アミノレブリン酸リン酸塩、その製造方法及びその用途」事件
審決(無効・不成立)取消請求事件
知的財産高等裁判所:令和7年(行ケ)第10009号等 判決日:令和7年10月8日
判決:請求棄却
特許法29条1項3号
キーワード:新規性、発明の要旨認定、引用発明の認定、相違点の認定、相違点の判断
判決文:https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-94703.pdf
[概要]
甲1発明の溶液について、本件優先日当時、5-アミノレブリン酸とリン酸がいずれもイオンの状態で水溶液中に含まれていることは、当業者が認識できたとしても、甲1の記載に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に、甲1において、「水溶液中に5-アミノレブリン酸とリン酸をイオンの状態で含んでなる5-アミノレブリン酸リン酸塩」という、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」なる化合物に係る発明の技術的思想が開示されているということはできないとして、本件発明の新規性を否定した審決の判断の結論に誤りはないとされた事例。
[特許請求の範囲]
【請求項1】
下記一般式(1)
HOCOCH2CH2COCH2NH2・HOP(O)(OR1)n(OH)2-n (1)
(式中、R1は、水素原子又は炭素数1~18のアルキル基を示し;nは0~2の整数を示す。)で表される5-アミノレブリン酸リン酸塩。
[争点]
取消事由:本件発明の甲1発明に対する新規性の有無に関する判断の誤り
[裁判所の判断]
『(1)ア 本件審決は、前記第2の4(3)ア及びウのとおり、本件明細書等の記載とともに、甲5ないし9、13、15といった辞典等の文献の記載事項から導かれる技術常識を参酌して、本件発明における「塩」の技術的意味を「酸の陰性成分と塩基の陽性成分の電荷が中和され、化学結合力によって結合した化合物」と解釈し、この解釈を前提として、甲1発明の溶液は、化学結合力によって結合した「5-アミノレブリン酸リン酸塩」を含む水溶液といえないから、相違点1は実質的相違点であると判断しており、被告は、本件審決の上記判断は正当である旨主張する。
イ しかし、本件明細書等には、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」が、固体(結晶)の状態のものや、5-アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンが化学結合力によって結合したものに限定される趣旨の記載は存在しない。
そして、本件特許の特許請求の範囲の請求項1に記載される本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」が、請求項3に記載の「水溶液の形態」である場合、5-アミノレブリン酸リン酸塩は水に溶解する結果、5-アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンに電離した状態で存在することになることは当業者の技術常識である(当事者双方の主張も、このことを前提としていると解される。)ところ、本件特許の請求項1及び当該請求項1の従属項である請求項3の記載から見て、当業者は、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」には、固体(結晶)の状態のものだけでなく、「水溶液中に5-アミノレブリン酸とリン酸をイオンの状態で含んでなる形態にある5-アミノレブリン酸リン酸塩」も含まれると理解するというべきである。
ウ 被告は、前記第3〔被告の主張〕の柱書及び1(3)のとおり、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」は、製造して固体として取り出したものであるから、本件明細書等の段落【0017】にいう「溶液」及び段落【0018】にいう「水溶液」は、製造して固体として取り出した5-アミノレブリン酸リン酸塩を溶媒に溶解又は分散させた状態のものを意味すると主張する。
しかし、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」につき、これを製造して固体として取り出したものであると解すべき根拠となる本件明細書等の記載は見当たらない。
むしろ、本件明細書等の段落【0019】には、「本発明の5-アミノレブリン酸リン酸塩は、陽イオン交換樹脂に吸着した5-アミノレブリン酸をイオン含有水溶液で溶出させ、その溶出液をリン酸類と混合することにより製造することができる。また、その混合液に貧溶媒を加えて結晶化させることにより、5-アミノレブリン酸リン酸塩を固体として得ることができる。」と記載されており、5-アミノレブリン酸リン酸塩を、5-アミノレブリン酸を含む溶出液とリン酸液との混合液の状態(液体の状態)で製造することと、当該混合液から固体として得ることが区別して記載されているといえ、この段落の記載からしても、本件発明における5-アミノレブリン酸リン酸塩は製造して固体として取り出したものであると解することはできず、5-アミノレブリン酸リン酸塩の溶液あるいは水溶液は固体として取り出した5-アミノレブリン酸リン酸塩を溶媒に溶解又は分散させたものであるとも解されない。
エ 上記イ及びウによれば、本件審決が、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」における「塩」の技術的意味を「酸の陰性成分と塩基の陽性成分の電荷が中和され、化学結合力によって結合した化合物」と解したことは相当ではない。
そして、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」における「塩」を上記のとおり解することを前提として、「甲1発明の溶液は、化学結合力によって結合した『5-アミノレブリン酸リン酸塩』を含む水溶液といえない」との理由により相違点1は実質的相違点であると判断することもできない。この点は、本件発明と甲1発明の相違点を相違点1’(前記第4の2(2))と認定しても変わらない。
(2)ア 特許法29条1項は、同項3号の「特許出願前に・・・頒布された刊行物に記載された発明」については特許を受けることができないと規定するものであるところ、上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには、同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが、発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に、当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。
特に、当該物が新規の化学物質である場合には、新規の化学物質は製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから、刊行物にその技術的思想が開示されているというためには、一般に、当該物質の構成が開示されていることに止まらず、その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。そして、刊行物に製造方法を理解し得る程度の記載がない場合には、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるというべきである。
イ 前記2(2)のとおり、甲1には、5M水酸化カリウムでpH7.2に構成される前の溶液として、5-アミノレブリン酸塩酸塩を、リン酸緩衝生理食塩水(PBS)に0~50mMの範囲の濃度で溶解して溶液を形成することが記載されている。
そして、本件審決が説示するとおり(本件審決「理由」第6、3(2)ウ)、リン酸緩衝生理食塩水に5-アミノレブリン酸塩酸塩を溶解させた溶液において、5-アミノレブリン酸塩酸塩は5-アミノレブリン酸、H+、Cl-に電離・水和して水溶液中に存在し、かつ、リン酸緩衝生理食塩水はリン酸イオン(H2PO4-又はHPO42-)を含んでいるから、甲1発明の溶液は、5-アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンを含むものであり、このことは甲1の記載に接した当業者であれば認識することができるといえる。
ウ しかし、甲1には、「水溶液の形態である5-アミノレブリン酸リン酸塩」すなわち「水溶液中に5-アミノレブリン酸とリン酸をイオンの状態で含んでなる形態にある5-アミノレブリン酸リン酸塩」を含め、5-アミノレブリン酸リン酸塩という化合物を製造し、この化合物を得ることについての記載はなく、そもそも「5-アミノレブリン酸リン酸塩」の文言も存在しない。
また、5-アミノレブリン酸はアミノ酸の一種であるところ(甲4〔訳文5頁23行〕に、5-アミノレブリン酸がアミノ酸の一種であることを示す記載がある。)、アミノ酸の塩酸塩を、リン酸緩衝生理食塩水のようなリン酸イオンを含む水溶液と混合することによって、アミノ酸のリン酸塩を製造することができるということが、本件優先日当時の技術常識であったとも認められず、その他、5-アミノレブリン酸リン酸塩の製造方法が技術常識であったと認めるに足りる証拠はない。
エ そうすると、甲1発明の溶液について、本件優先日当時、これが「5-アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンを含む水溶液」であって、5-アミノレブリン酸とリン酸がいずれもイオンの状態で水溶液中に含まれていることは、当業者が認識できたとしても、そのことをもって、甲1の記載に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に、甲1において、「水溶液中に5-アミノレブリン酸とリン酸をイオンの状態で含んでなる5-アミノレブリン酸リン酸塩」という、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」なる化合物に係る発明の技術的思想が開示されているということはできない。
したがって、本件発明が甲1に記載されているとは認められず、甲1から5-アミノレブリン酸リン酸塩を引用発明として認定することはできない。
この点に関する原告の主張(前記第3〔原告の主張〕3)は、上記説示に照らし、採用することができない。
そして、上記説示内容に照らせば、本件発明と甲1発明との相違点は相違点1’(前記2(2))のとおりであると認められ、かつ、相違点1’は、実質的な相違点であるといえる。
したがって、本件発明は、甲1発明と一致するものではないから、甲1発明に対して新規性を欠くものとはいえない。
オ(ア) 本件審決は、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」という一行記載が存在していても、当該塩の製造方法が技術常識でない状況では、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」を引用発明として認定できないのであるから、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」という一行記載すらない甲1から「5-アミノレブリン酸リン酸塩」を認定し、結果として記載されているに等しいと判断し、引用発明として認定することはできないと説示し(前記第2の4(3)ウ(イ)b)、本件発明は、甲1に記載された発明であるとはいえず、特許法29条1項3号に該当しない旨判断しており(前記第2の4(3)エ)、この判断内容は、上記ウ及びエの判断内容と同旨であるということができる。
(イ) なお、前記2(2)のとおり、本件審決による甲1発明の認定には誤り(濃度を「0~50mM」と認定すべきところを「0~5mM」と認定した誤り)があり、それにより、本件発明と甲1発明の相違点の認定にも、相違点1’と認定すべきところ相違点1と認定した誤りがある。また、前記(1)ウのとおり、本件審決には、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」における「塩」の技術的意味を「酸の陰性成分と塩基の陽性成分の電荷が中和され、化学結合力によって結合した化合物」と解した点で誤りがあり、そのように解することを前提として、「甲1発明の溶液は、化学結合力によって結合した『5-アミノレブリン酸リン酸塩』を含む水溶液といえない」との理由により相違点1又は相違点1’が実質的相違点であると判断することは相当でないというべきである。
しかし、前記ウ及びエの説示内容は、本件審決の上記の認定・判断の誤りの有無によって左右されず、上記(ア)のとおり、本件審決も前記ウ及びエと同旨の判断をしているから、本件審決の上記の認定・判断の誤りは、本件審決の結論に影響するものであったとは認められず、本件審決についてこれを取り消すべき違法があるとは認められない。』
[コメント]
特許法29条1項3号において、「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには、『物が新規の化学物質である場合には、新規の化学物質は製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから、刊行物にその技術的思想が開示されているというためには、一般に、当該物質の構成が開示されていることに止まらず、その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。そして、刊行物に製造方法を理解し得る程度の記載がない場合には、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるというべきである。』との判示は、化学物質の発明を引用発明として認定する際の知財高裁の従来の立場を踏襲する(例えば、平成19年(行ケ)第10378号、平成21年(行ケ)第10180号など)。
一方、本判決では、『本件審決には、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」における「塩」の技術的意味を「酸の陰性成分と塩基の陽性成分の電荷が中和され、化学結合力によって結合した化合物」と解した点で誤りがあり、そのように解することを前提として、「甲1発明の溶液は、化学結合力によって結合した『5-アミノレブリン酸リン酸塩』を含む水溶液といえない」との理由により相違点1又は相違点1’が実質的相違点であると判断することは相当でないというべきである。』とし、審決における発明の認定・判断の内容を否定している。
当該説示に際し、『本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」につき、これを製造して固体として取り出したものであると解すべき根拠となる本件明細書等の記載は見当たらない。』としているが、(新規の化学物質である)本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」は、具体的には、原料である5-アミノレブリン酸塩酸を用い、イオン交換樹脂によるイオン交換反応後に、濃縮・析出等をして固体として取り出したものを、NMRやイオンクマトグラフィーで同定することによって、はじめて当該塩が(新規の化学物質として)製造できていることが確認されていることから、本件明細書には上記の根拠となる記載があるように思われ、本判決の結論を鑑みれば、審決における上記の判断を否定するほどのことでもないように感じる。
以上
(担当弁理士:片岡 慎吾)
令和7年(行ケ)第10009号等「5-アミノレブリン酸リン酸塩、その製造方法及びその用途」事件
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