IP case studies判例研究
審決取消訴訟等
平成27年(行ケ)第10245号「臀部拭き取り装置」事件
名称:「臀部拭き取り装置」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成27年(行ケ)第10245号 判決日:平成28年8月24日
判決:審決取消
特許法17条の2第3項、36条6項1号
キーワード:新規事項の追加、サポート要件
[概要]
便器と便座との間の間隙を形成する手段が自明な事項というには、その手段が明細書に記載されているに等しいと認められるものでなければならず、単に、他にも手段があり得るという程度では足りないから、便座昇降装置以外の手段を導入することは、新たな技術的事項を追加することにほかならないとした事例。
当初明細書等には、便座昇降装置により便座が上昇された際に生じる便器と便座との間の間隙以外の間隙を設ける手段の記載はなく、便器と便座との間の間隙をどのように形成するかに関して何らかの技術常識があるとは認められないから、便器と便座との間の間隙を形成するに際して、便座昇降装置を用いるものに限定されない本件発明15は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載したものではなく、サポート要件を充足しないものであるとした事例。
[事件の経緯]
被告は、特許第4641313号の特許権者である。
原告が、当該特許の請求項1、2、15、23、25~30に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2015-800036号)を請求したところ、特許庁が、請求不成立(特許維持)の審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。
[本件発明15](下線は補正箇所)
トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって、
前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと、
前記臀部を拭き取る位置まで前記拭き取りアームを移動させる拭き取りアーム駆動部とを備え、
前記拭き取りアーム駆動部は、便器と便座との間隙を介して、前記拭き取りアームを移動させることを特徴とする、臀部拭き取り装置。
[当初明細書等の請求項1]
トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって、
便座を昇降させる便座昇降部と、
前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと、
前記便座昇降部によって前記便座が上昇された際に生じる便器と前記便座との間隙を介して、前記便座の排便用開口から前記拭き取りアームに取り付けられた前記トイレットペーパーが露出するように、前記拭き取りアームを駆動させる拭き取りアーム駆動部とを備える、臀部拭き取り装置。」
[審決]
【無効理由1】(新規事項追加)
当初明細書等には、拭き取りアームに取り付けられたトイレットペーパーを露出させる間隙について、便座昇降部により便座が上昇された際に生じる便器と便座との間隙以外のものは、明示的には記載されていない。しかしながら、当初明細書等の記載によれば、①本件発明の目的は、便座に座ったままの状態で、水滴や汚れの拭き取り作業を行うことができる臀部拭き取り装置及びそれを用いた温水洗浄便器を提供することであり、②便座昇降部は、便座本体を傾斜させることによって、人が容易に立ち上がれるようにするためのものであることに照らせば、②のような人が容易に立ち上がれるようにするための便座昇降部は、上記①の本件発明の目的を達成するために必ずしも必要なものではなく、拭き取りアームを移動させるための間隙が便器と便座との間に形成されさえすればよいことは、当業者にとって自明の事項である。
【無効理由2】(サポート要件違反)
本件発明15の、便座昇降部により便座が上昇された際に生じるものに限定されない「便器と便座との間隙」は、当初明細書等に実質的に記載されていたものといえ、また、便座昇降部は、本件発明の目的を達成するために必須の構成ではなく、本件発明の課題解決手段とはいえないから、本件発明15・・・(略)・・・は、発明の詳細な説明に記載されたものである。
[取消事由]
1 取消事由1(新規事項追加の有無に対する判断の誤り)
2 取消事由2(サポート要件充足の有無に対する判断の誤り)
3 取消事由3(無効理由に対する判断の誤り)
※以下、取消事由1、2についてのみ記載する。
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
1 取消事由1(新規事項追加の有無に対する判断の誤り)
『(1) 補正の経緯及び審決の判断
・・・(略)・・・
本件補正のうち、便座昇降部を除くとした補正事項は、当初明細書等の請求項1に記載された「便座と便器との間隙」が、便座昇降部により形成されるものには限定されないとするものであるから、便座昇降部以外の手段で間隙が形成されても、又は当初から間隙が形成されていてもよいことになる。このように、本件補正は、当初明細書等の請求項1の発明特定事項を削除し、発明を上位概念化したものである。
・・・(略)・・・
(2) 検討
当初明細書等の記載には、前記1(1)のとおり、便器と便座との間隙を形成する手段としては便座昇降装置が記載されているが、他の手段は、何の記載も示唆もない。
すなわち、補正前発明は、便器と便座との間隙を形成する手段として、便座昇降装置のみをその技術的要素として特定するものである。
そうすると、便座と便器との間に間隙を設けるための手段として便座昇降装置以外の手段を導入することは、新たな技術的事項を追加することにほかならず、しかも、上記のとおり、その手段は当初明細書等には記載されていないのであるから、本件補正は、新規事項を追加するものと認められる。
(3) 被告の主張について
① 被告は、当初明細書等に接した当業者にとって、便器と便座との間に拭き取りアームを移動させるための間隙さえ形成されていればよく、その手段が当初明細書等に例示されたもの限られないということは、自明の事項であると主張する。
しかしながら、便器と便座との間の間隙を形成する手段が自明な事項というには、その手段が明細書に記載されているに等しいと認められるものでなければならず、単に、他にも手段があり得るという程度では足りない。上記のとおり、当初明細書等には、便座昇降装置以外の手段については何らの記載も示唆もないのであり、他の手段が、当業者であれば一義的に導けるほど明らかであるとする根拠も見当たらない。
② また、被告は、公開特許公報には、便座昇降装置以外の手段で便器と便座との間に間隙を設ける技術が開示されているから、当初明細書等に便座昇降装置以外の手段で便器と便座との間に間隙を設けることは、当初明細書等に実質的に記載されていると主張する。
しかしながら、上記の自明な事項の解釈からいって、他に公知技術があるからといって当該公知技術が明細書に実質的に記載されていることになるものでないことは、明らかである。・・・(略)・・・』
2 取消事由2(サポート要件充足の有無に対する判断の誤り)
『当初明細書等には、便座昇降装置により便座が上昇された際に生じる便器と便座との間の間隙以外の間隙を設ける手段の記載はないところ、本件発明に係る本件補正後の明細書及び図面(以下「本件明細書」という。甲4。)は、当初明細書等の発明の詳細な説明及び図面と同旨であり、本件明細書にも、便座昇降装置により便座が上昇された際に生じる便器と便座との間の間隙以外の間隙を設ける手段の記載はない。そして、本件発明15のような機械式拭き取り装置の設置を前提として、便器と便座との間の間隙をどのように形成するかに関して何らかの技術常識があるとは認められない。
そうすると、便器と便座との間の間隙を形成するに際して、便座昇降装置を用いるものに限定されない本件発明15は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載したものではなく、サポート要件を充足しないものである。したがって、本件発明15の発明特定事項を全て含む本件発明23、本件発明25ないし本件発明29、及び本件発明30(15)もまた、サポート要件を充足しないものである。
以上から、審決のサポート要件充足の有無に対する判断には、誤りがある。』
[コメント]
明細書に、便器と便座との間隙を形成する手段として便座昇降装置以外の手段が記載されていない以上、結論的には、新規事項の追加及びサポート要件違反とした裁判所の判断は妥当と考える。ただ、本件発明の特徴が、便座昇降部ではなく、拭き取りアーム及び拭き取りアーム駆動部にあるとみれば、便座昇降部は必須の構成とはいえないと捉えることもできないだろうか(事実、便器と便座との間に空隙を設けなくても、拭き取りアームの拭き取り態様を工夫すれば臀部の拭き取りは可能となると推察される。)。
実務上は、やはり実施形態の充実を図るべきであろう。時間的・技術的な都合により出願時点での実施形態を1又は少数しか準備することができない場合であっても、明細書には例えば「・・・手段としては特に限定されないものの、・・・が好ましい。」と記載し、あくまでも明細書に記載した実施形態は発明の好適な一実施形態に過ぎないというスタンスで記載することが推奨される。
また、出願当初から本件発明15のように上位概念化した請求項を組み入れていれば、本件の判断も異なっていたものと思われる。技術の本質を的確に把握し、それを過不足なく請求項に落とし込む理解力・思考力も求められよう。
以上
(担当弁理士:藤井 康輔)
平成27年(行ケ)第10245号「臀部拭き取り装置」事件
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