IP case studies判例研究

平成28年(行ケ)第10079号「タイヤ」事件

名称:「タイヤ」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成28年(行ケ)第10079号 判決日:平成28年11月16日
判決:審決取消
特許法29条2項
キーワード:引用発明の認定、相違点の判断
[概要]
本願発明の具体的な課題(使用初期における性能の発揮)は引用発明の課題とは異なり、本願発明の表面層に関する技術的思想は引用発明の技術的思想とは相反するものであることが認定されて、引用発明から本願発明の進歩性を否定した審決が取り消された事例。
[事件の経緯]
原告が、特許出願(特願2013-85881号)に係る拒絶査定不服審判(不服2014-21362号)を請求して補正したところ、特許庁(被告)が、請求不成立の拒絶審決をしたため、原告は、その取消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。
[本願発明]
【請求項1】
タイヤのトレッドに、該トレッドの少なくとも接地面を形成する表面ゴム層と、前記表面ゴム層のタイヤ径方向内側に隣接する内部ゴム層とを有し、前記比Ms/Miは0.01以上1.0未満であり、
前記表面ゴム層の厚さは0.01mm以上1.0mm以下であり、
前記トレッドは、ベース部のタイヤ径方向外側に隣接して、該トレッドの少なくとも接地面を形成するキャップ部を配置した積層構造を有し、前記キャップ部が前記表面ゴム層および前記内部ゴム層を含み、
アンチロックブレーキシステム(ABS)を搭載した車両に装着して使用し、
前記表面ゴム層は、前記内部ゴム層のタイヤ径方向外側で前記内部ゴム層にのみ隣接し、
前記表面ゴム層は、非発泡ゴムから成り、かつ、前記内部ゴム層は、発泡ゴムから成り、
前記表面ゴム層のゴム弾性率Msが前記内部ゴム層のゴム弾性率Miに比し低いことを特徴とするタイヤ。
[取消事由]
本願発明の容易想到性の判断の誤り
(1)相違点1の認定誤り
(2)相違点1の容易想到性の判断の誤り
(3)効果についての判断の誤り
[相違点1]
「表面ゴム層」及び「内部ゴム層」の組成及び物性について、本願発明においては、「前記比Ms/Miは0.01以上1.0未満であり、」「前記表面ゴム層は、非発泡ゴムから成り、かつ、前記内部ゴム層は、発泡ゴムから成り、前記表面ゴム層のゴム弾性率Msが前記内部ゴム層のゴム弾性率Miに比し低い」のに対し、引用発明においては、「前記表面外皮層のゴムは、ゴムBを使用し、Hs(-5℃)が46、ピコ摩耗指数が43であり、前記本体層のゴムは、ゴムAを使用し、Hs(-5℃)が60、ピコ摩耗指数が80であ」る点。
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
1.引用発明の認定誤りについて
『原告は、引用例1に接した当業者であれば、第1表に示されたゴムA及びゴムBは、非発泡性ゴムであると考えることができるとして、本件審決は、この点を看過していると主張する。
しかし、本件審決も、表面ゴム層については、非発泡ゴムから成ることを前提として判断している。一方、本体層については、引用例1の「本体層については特に限定されない。…また発泡ゴムを用いても差し支えない。ゴム配合も一般のスタッドレス配合等種々採用できる。」との記載(前記(1)オ)からすれば、非発泡ゴムに限ることが開示されているとはいえない。
したがって、引用発明についての本件審決の認定に誤りがあるとはいえないから、原告の上記主張は理由がない。』
2.取消事由(本願発明の容易想到性の判断の誤り)について
『(1)本願発明と引用発明との相違点
本願発明と引用発明とを対比すると、前記第2の3(2)ウ(ア)記載のとおりの相違点1が認められる。
原告は、本願発明の内部ゴム層が発泡ゴムであるのに対し、引用発明の本体層は非発泡ゴムであるから、相違点1にはこの点を看過した誤りがあると主張する。
しかし、前記2(3)のとおり、引用発明の本体層が非発泡ゴムに限るとはいえないから、相違点1の認定に誤りがあるとはいえない。
(2)相違点1の容易想到性について
ア 本願発明は、トレッドに発泡ゴムを適用したタイヤにおいて、氷路面におけるタイヤの制動性能及び駆動性能を総合した氷上性能が、タイヤの使用開始時から安定して優れたタイヤを提供するため、タイヤの新品時に接地面近傍を形成するトレッド表面のゴムの弾性率を好適に規定して、十分な接地面積を確保することができるようにしたものである。これに対し、引用発明は、スタッドレスタイヤやレーシングタイヤ等において、加硫直後のタイヤに付着したベントスピューと離型剤の皮膜を除去する皮むき走行の走行距離を従来より短くし、速やかにトレッド表面において所定の性能を発揮することができるようにしたものである。
以上のとおり、本願発明は、使用初期においても、タイヤの氷上性能を発揮できるように、弾性率の低い表面ゴム層を配置するのに対し、引用発明は、容易に皮むきを行って表面層を除去することによって、速やかに本体層が所定の性能を発揮することができるようにしたものである。したがって、使用初期においても性能を発揮できるようにするための具体的な課題が異なり、表面層に関する技術的思想は相反するものであると認められる。
イ よって、引用例1に接した当業者は、表面外皮層Bを柔らかくして表面外皮層を早期に除去することを想到することができても、本願発明の具体的な課題を示唆されることはなく、当該表面外皮層に使用初期においても安定して優れた氷上性能を得るよう、表面ゴム層及び内部ゴム層のゴム弾性率の比率に着目し、当該比率を所定の数値範囲とすることを想到するものとは認め難い。また、ゴムの耐摩耗性がゴムの硬度に比例すること(甲8~13)や、スタッドレスタイヤにおいてトレッドの接地面を発泡ゴムにより形成することにより氷上性能あるいは雪上性能が向上すること(甲14~16)が技術常識であるとしても、表面ゴム層を非発泡ゴム、内部ゴム層を発泡ゴムとしつつ、表面ゴム層のゴム弾性率を内部ゴム層のゴム弾性率より小さい(表面を内部に比べて柔らかくする。)所定比の範囲として、タイヤの使用初期にトレッドの接地面積を十分に確保して、使用初期においても安定して優れた氷上性能を得るという技術的思想は開示されていないから、本願発明に係る構成を容易に想到することができるとはいえない。』
[コメント]
本事件では、概要に記載のとおり、引用発明には、本願発明の具体的な課題及び技術的思想が開示されていないから、引用発明から本願発明にかかる構成は容易に想到できないという理由によって、本願発明の進歩性が肯定された。
このように本願発明の進歩性を肯定する判断は、本願発明と引用発明との課題を的確に把握することの重要性と、本願発明の特徴点(先行技術との相違点)に到達するためにしたはずであるという示唆等の存在の必要性が説示されている、以下の近年の裁判所での進歩性に関する一般的基準(※)(回路用接続部材事件〔平成20年(行ケ)第10096号〕)に準じた判断といえ、妥当と思われる。
また、一般的に、発明の課題と、発明の作用効果は不即不離の関係にあるといえ、先行技術に対する新たな解決課題が認められれば、発明の作用効果を顕著な効果として認定する(進歩性を肯定する)方向に働き得るため、このような観点からも、発明の課題の把握(明細書作成時では課題の設定)には、十分留意すべきである。
(※)『特許法29条2項が定める要件の充足性、すなわち、当業者が、先行技術に基づいて出願に係る発明を容易に想到することができたか否かは、先行技術から出発して、出願に係る発明の先行技術に対する特徴点(先行技術と相違する構成)に到達することが容易であったか否かを基準として判断される。ところで、出願に係る発明の特徴点(先行技術と相違する構成)は、当該発明が目的とした課題を解決するためのものであるから、容易想到性の有無を客観的に判断するためには、当該発明の特徴点を的確に把握すること、すなわち、当該発明が目的とする課題を的確に把握することが必要不可欠である。そして、容易想到性の判断の過程においては、事後分析的かつ非論理的思考は排除されなければならないが、そのためには、当該発明が目的とする「課題」の把握に当たって、その中に無意識的に「解決手段」ないし「解決結果」の要素が入り込むことがないよう留意することが必要となる。さらに、当該発明が容易想到であると判断するためには、先行技術の内容の検討に当たっても、当該発明の特徴点に到達できる試みをしたであろうという推測が成り立つのみでは十分ではなく、当該発明の特徴点に到達するためにしたはずであるという示唆等が存在することが必要であるというべきであるのは当然である。』
以上
(担当弁理士:片岡 慎吾)
 

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