IP case studies判例研究
審決取消訴訟等
平成28年(行ケ)10189号「光学ガラス」事件
名称:「光学ガラス」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成28年(行ケ)10189号 判決日:平成29年10月25日
判決:審決取消
条文:特許法36条6項1号、36条4項1号
キーワード:サポート要件、実施可能要件
判決文:http://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/168/087168_hanrei.pdf
[事案の概要]
実施例が本願組成要件の各数値範囲の一部のみであっても、明細書の記載および技術常識に基づき、当業者は、当該数値範囲のうち、実施例の組成物の数値範囲を超える組成の場合にも高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることを認識し得るとして、実施例の組成が各数値範囲の一部であることから直ちに要件充足性を否定した審決を取り消した事例。
[事件の経緯]
原告が、特許出願(特願2012-233297号)に係る拒絶査定不服審判(不服2015-8434号)を請求したところ、特許庁(被告)が、請求不成立の拒絶審決をしたため、原告は、その取消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。
[本願発明]
【請求項1】(筆者にて、改行部を修正。)
屈折率(nd)が1.78以上1.90以下、アッベ数(νd)が22以上28以下、部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し、
質量%の比率で
SiO2を10%以上40%以下、Nb2O5を40%超65%以下、ZrO2を0.1%以上15%以下、TiO2を1%以上15%以下含有し、
B2O3の含有量が0~20%、GeO2の含有量が0~5%、Al2O3の含有量が0~5%、WO3の含有量が0~15%、ZnOの含有量が0~15%、SrOの含有量が0~15%、Li2Oの含有量が0~15%、Na2Oの含有量が0~20%、Sb2O3の含有量が0~1%であり、TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.20以下であり、
SiO2、B2O3、TiO2、ZrO2、Nb2O5、WO3、ZnO、SrO、Li2O、Na2Oの合計含有量が90%超であることを特徴とする光学ガラス。
[審決]
1.・・・(略)・・・本願組成要件に関するガラスの組成のうち、実施例で示されているものは一部の数値範囲の組成にとどまり、当該数値範囲を超える部分については、本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることが実施例の記載により裏付けられているとはいえず、その他の発明の詳細な説明の記載にも、当業者が本願物性要件を満たすことを認識し得る説明がされているとはいえない。また、本願出願時の当業者の技術常識(光学ガラスの物性は、ガラスの組成に依存するが、構成成分と物性との因果関係が明確に導かれない場合の方が多いことなど)に照らしても、本願組成要件の数値範囲にわたって、本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを当業者が認識し得るとはいえない。
2.・・・(略)・・・本願の明細書に、本願組成要件のごく一部の範囲の実施例が記載され、各成分のはたらきが個別に記載されていたとしても、実施例から離れた広範な本願組成要件の数値範囲において、限定された本願物性要件を満たす光学ガラスの具体的な各成分の含有量を決定することは、当業者に過度の試行錯誤を要求するものといえる。
[主な取消事由]
1.実施可能要件に関する判断の誤り(取消事由2)
2.サポート要件に関する判断の誤り(取消事由3)
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
2.取消事由2(サポート要件に関する判断の誤り)について
『(1)特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かについては、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
これを本願発明についてみると、まず、本願発明に係る特許請求の範囲(請求項1)の記載は、光学ガラスを本願組成要件及び本願物性要件によって特定するものであり、そのうち、本願物性要件は、「高屈折率高分散であって、かつ、部分分散比が小さい光学ガラスを提供する」という本願発明の課題を、「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下、アッベ数(νd)が22以上28以下、部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下」という光学定数により定量的に表現するものであって、本願組成要件で特定される光学ガラスを、本願発明の課題を解決できるものに限定するための要件ということができる。そして、このような本願発明に係る特許請求の範囲の構成からすれば、その記載がサポート要件に適合するものといえるためには、本願組成要件で特定される光学ガラスが発明の詳細な説明に記載されていることに加え、本願組成要件で特定される光学ガラスが高い蓋然性をもって本願物性要件を満たし得るものであることを、発明の詳細な説明の記載や示唆又は本願出願時の技術常識から当業者が認識できることが必要というべきである。
(2)そこで、以上の観点から、本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時の技術常識に基づき、サポート要件についての本件審決の判断の適否について検討する。
・・・(略)・・・、本願明細書の発明の詳細な説明に、本願組成要件で特定される光学ガラスが記載されていることは明らかである。
イ ・・・(略)・・・、以上のような発明の詳細な説明の記載を総合してみれば、本願発明における本願組成要件と本願物性要件との関係に関して、次のような理解が可能といえる。すなわち、まず、Nb2O5成分は、屈折率を高め、分散を大きくしつつ部分分散比を小さくし、化学的耐久性及び耐失透性を改善するのに有効な必須の成分であること(段落【0033】)から、本願組成要件において、その含有量が40%超65%以下とされ、組成物中で最も含有量の多い成分とされていることが理解できる。また、ZrO2成分は、屈折率を高め、部分分散比を小さくする効果があり(段落【0031】)、他方、TiO2成分は、屈折率を高め、分散を大きくする効果がある反面、その量が多すぎると部分分散比が大きくなること(段落【0029】)から、「部分分散比が小さい光学ガラス」を得るためには、ZrO2及びNb2O5の含有量に対してTiO2の含有量が多くなりすぎることを避ける必要があり、そのために、TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値を一定以下とするものであること(段落【0073】)が理解でき、これが、本願組成要件において、各成分の含有量とともに規定される「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.2以下であり」との特定に反映され、本願発明の課題の解決(高屈折率高分散であって、かつ、部分分散比が小さい光学ガラスを提供すること)にとって重要な構成となっていることが理解できる。
ウ 他方、・・・(略)・・・本願組成要件に規定された各数値範囲は、実施例によって本願物性要件を満たすことが具体的に確認された組成の数値範囲に比して広い数値範囲となっており、そのため、本願組成要件で特定される光学ガラスのうち、実施例に示された数値範囲を超える組成に係る光学ガラスについても、本願物性要件を満たし得るものであることを当業者が認識できるか否かが問題となる。
そこで検討するに、まず、光学ガラスの製造に関しては、ガラスの物性が多くの成分の総合的な作用により決定されるものであるため、個々の成分の含有量の範囲等と物性との因果関係を明確にして、所望の物性のための必要十分な配合組成を明らかにすることは現実には不可能であり、そのため、ターゲットとされる物性を有する光学ガラスを製造するに当たり、当該物性を有する光学ガラスの配合組成を明らかにするためには、既知の光学ガラスの配合組成を基本にして、その成分の一部を、当該物性に寄与することが知られている成分に置き換える作業を行い、ターゲットではない他の物性に支障が出ないよう複数の成分の混合比を変更するなどして試行錯誤を繰り返すことで当該配合組成を見出すのが通常行われる手順であることが認められ、このことは、本願出願時において、光学ガラスの技術分野の技術常識であったものと認められる(甲5、6、17、18、21、22。以上のような技術常識の存在については、当事者間に争いがない。)。
そして、上記のような技術常識からすれば、光学ガラスの製造に当たって、基本となる既知の光学ガラスの成分の一部を、物性の変化を調整しながら、他の成分に置き換えるなどの作業を試行錯誤的に行うことは、当業者が通常行うことということができるから、光学ガラス分野の当業者であれば、本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして、特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても、これに応じて他の成分を適宜増減させることにより、当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して、もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解できるものといえる。そして、前記イのとおり、当業者は、本願明細書の発明の詳細な説明の記載から、本願物性要件を満たす光学ガラスを得るには、「Nb2O5成分を40%超65%以下の範囲で含有し、かつ、TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする」ことが特に重要であることを理解するものといえるから、これらの条件を維持しながら、光学ガラスの製造において通常行われる試行錯誤の範囲内で上記のような成分調整を行うことにより、高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることが可能であることも理解し得るというべきである。・・・(略)・・・
してみると、本願明細書の実施例に係る組成物の組成が、本願組成要件に規定された各成分の含有比率、「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2、B2O3、TiO2、ZrO2、Nb2O5、WO3、ZnO、SrO、Li2O、Na2Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のものにすぎないとしても、本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時における光学ガラス分野の技術常識に鑑みれば、当業者は、本願組成要件に規定された各数値範囲のうち、実施例として具体的に示された組成物に係る数値範囲を超える組成を有するものであっても、高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができることを認識し得るというべきであり、更に、そのように認識し得る範囲が、本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体(上限値や下限値)にまで及ぶものといえるか否かについては、成分ごとに、その効果や特性を踏まえた具体的な検討を行うことによって判断される必要があるものといえる。
エ これに対し、・・・(略)・・・、本件審決の判断は、本願組成要件に規定された各成分の含有比率、「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2、B2O3、TiO2、ZrO2、Nb2O5、WO3、ZnO、SrO、Li2O、Na2Oの合計含有量」の各数値範囲のうち、当業者が本願物性要件を満たす光学ガラスが得られるものと認識できる範囲を、実施例として具体的に示されたガラス組成の各数値範囲に限定するものにほかならないところ、上記ウで述べたところからすれば、このような判断は誤りというべきである。本件審決は、上記ウのとおり、本願のサポート要件充足性を判断するに当たって必要とされる、本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができることを認識し得る範囲が本願組成要件に規定された各成分における数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについての具体的な検討を行うことなく、実施例として示された各数値範囲が本願組成要件に規定された各数値範囲の一部にとどまることをもって、直ちに本願のサポート要件充足性を否定したものであるから、そのような判断は誤りといわざるを得ず(更に言えば、上記のような具体的な検討の結果に基づく拒絶理由通知がされるべきであったともいえる。)、また、その誤りは審決の結論に影響を及ぼすものといえる。』
3.取消事由3(実施可能要件に関する判断の誤り)について
『・・・(略)・・・、本願明細書の実施例に係る組成物の組成が、本願組成要件に規定された各成分の含有比率、「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2、B2O3、TiO2、ZrO2、Nb2O5、WO3、ZnO、SrO、Li2O、Na2Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のものにすぎないとしても、前記2(2)で述べたとおりの本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時における光学ガラス分野の技術常識からすれば、光学ガラス分野の当業者であれば、本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして、特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても、これに応じて他の成分を適宜増減させることにより、当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して、もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解するものであり、特に、本願物性要件を満たす光学ガラスを得るのに重要な「Nb2O5成分を40%超65%以下の範囲で含有し、かつ、TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする」との条件を維持しながら、光学ガラスの製造において通常行われる試行錯誤の範囲内で上記のような成分調整を行うことにより、本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることが可能であることを理解するものといえる。そして、そのようにして本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができると考えられる各成分の数値範囲が、本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについては、成分ごとに、その効果や特性を踏まえた具体的な検討を行うことによって判断される必要があるものといえる。
・・・(略)・・・本件審決は、上記のとおり、本願の実施可能要件充足性を判断するに当たって必要とされる、本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができると考えられる各成分の数値範囲が本願組成要件に規定された各成分における数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについての具体的な検討を行うことなく、実施例として示された各数値範囲が本願組成要件に規定された各数値範囲の一部にとどまることをもって、直ちに本願の実施可能要件充足性を否定したものであるから、そのような判断は誤りといわざるを得ず、また、その誤りは審決の結論に影響を及ぼすものといえる。』
[コメント]
本判決では、「実施例として示された各数値範囲が本願組成要件に規定された各数値範囲の一部にとどまることをもって、直ちに本願のサポート要件充足性を否定した点において判断の在り方に問題があ(る)」として、本願のサポート要件充足性等を否定した審決が取り消されている。本判決では、いわば審理不尽として審決が取り消されており、数値範囲全てに要件具備までを認めたものではない。
化学・バイオ分野の審査では、“やってみなければわからない“というその技術的性格から選択発明性や進歩性で有利になりうる反面、サポート要件等については本事件のように実施例に限定すべきとされる場合もあり、本判決はそのような場合に対する参考事例といえる。
以上
(担当弁理士:東田 進弘)
平成28年(行ケ)10189号「光学ガラス」事件
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