IP case studies判例研究
審決取消訴訟等
平成29年(行ケ)第10127号「発光ダイオード」事件
名称:「発光ダイオード」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成29年(行ケ)第10127号 判決日:平成30年3月29日
判決:請求棄却
特許法36条4項1号、同条6項2号
キーワード:明確性、実施可能要件
判決文:http://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/648/087648_hanrei.pdf
[概要]
技術的意義を有することを踏まえ、本件発明の課題を解決することができる範囲内において、適宜、蛍光体の濃度の偏りの程度を設定し得るものと理解することができるため、本件構成について、更に数値などにより限定して具体的に特定していないからといって、本件発明が有する上記技術的意義との関係において、構成が不明確となるものではない、とされた事例。
蛍光体の濃度分布を適宜調整することにより、本件発明の「コーティング樹脂中のガーネット系蛍光体の濃度が、コーティング樹脂の表面側からLEDチップ側に向かって高くなっている」発光ダイオードを生産することができ、かつ、使用することができることは、本件明細書に接した当業者にとって明らかであると認められるから、発明の詳細な説明の記載は、当業者が本件発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載されているとされた事例。
[事件の経緯]
被告は、特許第5610056号の特許権者である。
原告が、本件特許の請求項1~4に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2015-800201号)を請求したところ、特許庁が、請求棄却(特許維持)の審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を棄却し、審決を維持した。
[本件発明]
【請求項1】
窒化ガリウム系化合物半導体を有するLEDチップと、該LEDチップを直接覆うコーティング樹脂とを有する発光ダイオードであって、
前記コーティング樹脂には、該LEDチップからの第1の光の少なくとも一部を吸収し、波長変換して前記第1の光とは波長の異なる第2の光を発光する、Y、Lu、Sc、La、Gd及びSmからなる群から選ばれた少なくとも1つの元素と、Al、Ga及びInからなる群から選ばれる少なくとも1つの元素を含んでなるCeで付括されたガーネット系蛍光体が含有されており、
前記LEDチップは、その発光層がInを含む窒化ガリウム系半導体で、420~490nmの範囲にピーク波長を有するLEDチップであり、
前記コーティング樹脂中の前記ガーネット系蛍光体の濃度が、前記コーティング樹脂の表面側から前記LEDチップ側に向かって高くなっていることを特徴とする発光ダイオード。
[取消事由]
取消事由1:明確性要件に対する判断の誤り
取消事由2:実施可能要件に対する判断の誤り
[裁判所の判断]
1.取消事由1(明確性要件に対する判断の誤り)について
(1)原告は、本件構成について、数値などにより客観的に定まっているものではなく、蛍光体の濃度がコーティング樹脂の表面側からLEDチップ側に向かってどの程度高くなっているのかが明らかではないことなどから、明確であるとはいえない旨主張した。それに対して、裁判所は、以下のように判断した。
『(2)本件発明において、「前記コーティング樹脂中の前記ガーネット系蛍光体の濃度」は、「前記コーティング樹脂の表面側から前記LEDチップ側に向かって高くなっている」と特定されている(本件構成)。この「向かって高くなっている」とは、「前記コーティング樹脂中の前記ガーネット系蛍光体の濃度が」、「前記コーティング樹脂の表面側」と比較して、「前記LEDチップ側に向かって」、「高くなっている」ことを示していることは明らかであり、通常、そのように理解されるものといえるから、比較の程度が数値などにより明らかではないことをもって、本件発明の特許請求の範囲の記載が直ちに明確性の要件を満たさないとはいえない。』
『また、本件明細書には、前記1(1)オのとおり、「蛍光体の分布は、蛍光体を含有する部材、形成温度、粘度や蛍光体の形状、粒度分布などを調整することによって種々の分布を実現することができ、発光ダイオードの使用条件などを考慮して分布状態が設定される。」(段落【0047】)との記載があり、この記載に接した当業者であれば、本件構成については、上記の技術的意義を有することを踏まえて、本件発明の課題を解決することができる範囲内において、適宜、蛍光体の濃度の偏りの程度を設定し得るものと理解することができる。そうすると、本件構成について、更に数値などにより限定して具体的に特定していないからといって、本件発明が有する上記技術的意義との関係において、構成が不明確となるものではないといえる。』
(2)原告は、本件発明に係る蛍光体の濃度分布を従来のものと比較、検討しなければ、本件発明の技術的特徴を明らかにできず、その結果、発明の特許要件である新規性や進歩性の有無等も判断し得ないから、本件発明は明確でないなどと主張した。それに対して、裁判所は、以下のように判断した。
『しかしながら、特許請求の範囲の記載の明確性の要件は、明細書等の記載及び出願時の技術常識を考慮して判断されるべきものであって、本件発明の特許請求の範囲の記載が明確性要件を満たすことは、前記(2)に認定のとおりである。したがって、原告の上記主張は採用することができない。』
(3)原告は、審決は、明確性要件の判断の前提となる本件原出願日当時の技術常識(発光ダイオードにおける樹脂中の蛍光体の分布状態は、一般に、蛍光体は樹脂より比重が大きいために程度の差はあっても沈降したものとならざるを得なかったこと、すなわち、従来の発光ダイオードでは、必然的に本件構成のような蛍光体の分布状態となっており、コーティング樹脂内の蛍光体の濃度分布を「均一」なものとすることは不可能であったこと)を、一切判断しないまま明確性要件を判断している点に問題がある旨主張した。それに対して、裁判所は、以下のように判断した。
『しかしながら、仮に、本件原出願日当時の技術水準に照らし、原告が主張するような「均一」な蛍光体の濃度分布を実現することが困難であったとしても、このことは、本件構成を有する特許請求の範囲の記載が明確性要件を満たすとの前記判断を左右するものではない。』
2.取消事由2(実施可能要件に対する判断の誤り)について
原告は、平成13年(2001年)以降でさえ、先行技術(甲20)と技術常識に基づいて、外部から侵入した水分による劣化を防止しているとはいえない程度に蛍光体の沈降が抑えられた濃度分布の実現は不可能であったのであり、本件明細書の「フォトルミネセンス蛍光体を含有する部材、形成温度、粘度やフォトルミネセンス蛍光体の形状、粒度分布などを調整することによって種々の分布を実現することができ」(【0047】)との記載は、本件構成に対応する技術的手段が単に抽象的に記載されているだけで、当業者が発明の実施をすることができない記載にすぎないことを意味するものに他ならないから、実施可能要件を欠くというべきであって、審決の結論には明らかな違法がある旨主張した。それに対して、裁判所は、以下のように判断した。
『(2)明細書の発明の詳細な説明の記載は、当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであることを要する(特許法36条4項1号)。本件発明は、「発光装置と表示装置」(発光ダイオード)という物の発明であるところ、物の発明における発明の「実施」とは、その物の生産、使用等をする行為をいうから(特許法2条3項1号)、物の発明について実施をすることができるとは、その物を生産することができ、かつ、その物を使用することができることであると解される。
本件明細書には、「蛍光体の分布は、フォトルミネセンス蛍光体を含有する部材、形成温度、粘度やフォトルミネセンス蛍光体の形状、粒度分布などを調整することによって種々の分布を実現することができ、発光ダイオードの使用条件などを考慮して分布状態が設定される。」(【0047】)との記載があることから、蛍光体の濃度分布を適宜調整することにより、本件発明の「コーティング樹脂中のガーネット系蛍光体の濃度が、コーティング樹脂の表面側からLEDチップ側に向かって高くなっている」発光ダイオードを生産することができ、かつ、使用することができることは、本件明細書に接した当業者にとって明らかであると認められる。
したがって、発明の詳細な説明の記載は、当業者が本件発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載されているものと認められるから、その旨の審決の判断に誤りはない。
これに対し、原告が主張する、外部から侵入した水分による劣化を防止しているとはいえない程度に蛍光体の沈降が抑えられた濃度分布とは、本件構成に係る「コーティング樹脂中のガーネット系蛍光体の濃度が、コーティング樹脂の表面側からLEDチップ側に向かって高くなっている」ものではない状態を示すものである。
そうすると、仮に、このような濃度分布について、発明の詳細な説明や出願時の技術常識を考慮しても実現することができない、又は、その実現に過度の試行錯誤を要するとしても、このことは、本件明細書の発明の詳細な説明が、当業者が本件発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているとの前記認定を左右するものではない(発光ダイオードの製造工程において、蛍光体がコーティング樹脂中を沈降することによって、本件構成を満足するものを製造することができることについては、当事者間に争いがないものと解される。)。』
[コメント]
明細書内に製造条件を詳細に記載することは、企業独自のノウハウを開示することにつながり、また、同一の製品を他社に容易に製造させる懸念もあることから、なるべく避けたいという出願人側の意図が存在する。一方で、あまりに抽象的な記載にとどまると、実施可能要件違反であるとされるおそれがあり、かかる違反を解消することは極めて困難である。このため、明細書に記載すべき内容の取捨選択のバランスが極めて重要である。
本件は、製造方法に特徴があるわけではなく、あくまで蛍光体の濃度に所定方向への傾斜を設けた点が特徴であるため、どのようなパラメータを調整すれば前記の特徴構成が実現できるかという程度に記載をしておくことで、実施可能要件が満たされていると判断されたものと推察される。
私見であるが、実施可能要件(本件は明確性要件も同様の記載内容に対して判断されているが)をあまりに厳格に適用すると、ノウハウの開示を恐れて企業が特許出願自体を回避する傾向を示す可能性もあり、国策として好ましくない。本件の判示は妥当であると考える。
以上
(担当弁理士:佐伯 直人)
平成29年(行ケ)第10127号「発光ダイオード」事件
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