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平成30年(行ヒ)第69号「局所的眼科用処方物」事件

名称:「局所的眼科用処方物」事件
審決取消請求事件
最高裁判所:平成30年(行ヒ)第69号 判決日:令和元年8月27日
判決:破棄差戻
条文:特許法29条2項
キーワード:進歩性、顕著な効果、医薬用途
判決文:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/888/088888_hanrei.pdf
[概要]
本件特許に係る発明(本件発明)の進歩性の有無に関し、本件発明が予測できない顕著な効果を有するか否かという観点から十分に検討することなく、本件発明の効果が予測できない顕著なものであることを否定して、本件審決を取り消した原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ないとして、原判決を破棄し、原審に差し戻した事例。
[事件の経緯]
上告人は特許第3068858号の特許権者である。
被上告人(無効審判請求人)が、本件特許に係る無効審判(無効2011-800018号)を請求したところ、請求は成り立たないとの本件審決が下されたため、被上告人は、その取り消しを求めて出訴したところ、本件審決を取り消す原判決(平成29年(行ケ)第10003号)が下されたため、上告人(特許権者)が上告受理申立てを行った。
最高裁は、原判決が破棄を免れないとし、差し戻した。
[本件発明](筆者にて括弧内を加筆)
【請求項1】
ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な、点眼剤として調製された眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤であって、治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸(以下「本件化合物」)またはその薬学的に受容可能な塩を含有する、ヒト結膜肥満細胞安定化剤。
[争点]
本件特許に係る発明の進歩性の有無に関し、当該発明が予測できない顕著な効果を有するか否か。
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
<上告受理申立て理由について>
『1 本件は、被上告人が、ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための点眼剤に係る特許(特許第3068858号。以下「本件特許」という。)につき、その特許権を共有する上告人らを被請求人として特許無効審判を請求したところ、同請求は成り立たない旨の審決を受けたため、同審決の取消しを求める事案である。本件特許に係る発明の進歩性の有無に関し、当該発明が予測できない顕著な効果を有するか否かが争われている。
2 原審の確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
・・・(略)・・・
(2) 無効審判請求の経緯等
ア 被上告人は、平成23年2月、本件特許について特許無効審判を請求し、特許庁に無効2011-800018号事件として係属したところ、上告人らは、平成24年8月、本件特許に係る特許請求の範囲の訂正(以下「本件訂正1」という。)を請求した。本件訂正1後の特許請求の範囲の記載は、別紙1のとおりである。
特許庁は、平成25年1月、本件訂正1を認めるとともに、本件訂正1後の特許請求の範囲の請求項1及び2に係る各発明における「ヒト結膜肥満細胞安定化」という発明特定事項は、引用例1及び引用例2に記載のものから動機付けられたものとはいえないから、引用例1を主引用例とする進歩性欠如の無効理由は理由がないと判断して、上記特許無効審判の請求は成り立たない旨の審決(以下「前審決」という。)をした。
引用例1は、アレルギー性結膜炎を抑制するための本件化合物のシス異性体の塩酸塩を含有する点眼剤(以下「引用発明1」という。)を、モルモットに点眼して結膜炎に対する影響を検討した実験結果等が記載されている、優先日前に頒布された論文であり、引用例2は公開特許公報(特開昭63-10784号公報)である。
イ 被上告人が、平成25年3月、前審決の取消しを求めて訴訟を提起したところ、知的財産高等裁判所は、平成26年7月、引用例1及び引用例2に接した当業者は、引用発明1をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる際に、引用発明1に係る化合物についてヒト結膜肥満細胞安定化作用を有することを確認し、ヒト結膜肥満細胞安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められるから、前審決の上記の判断は誤りであるとして、前審決を取り消す旨の判決(以下「前訴判決」という。)を言い渡し、前訴判決は確定した。
ウ 特許庁は、上記の特許無効審判事件につき更に審理を行い、上告人らは、平成28年2月、本件特許に係る特許請求の範囲の訂正(以下「本件訂正2」という。本件訂正2後の請求項は請求項1及び5のみである。)を請求した。・・・(略)・・・
特許庁は、同年12月、本件訂正2を認めるとともに、本件発明1と引用発明1との各相違点は、引用例1及び引用例2に接した当業者が容易に想到することができたもの又は単なる設計事項であるが、本件化合物の効果は、引用例1、引用例2及び優先日当時の技術常識から当業者が予測し得ない格別顕著な効果であるとし、本件各発明は当業者が容易に発明できたものとはいえないと判断して、上記特許無効審判の請求は成り立たない旨の審決(以下「本件審決」という。)をした。
(3) 本件各発明に係る効果
本件特許の特許出願に係る明細書(以下「本件明細書」という。)に接した当業者が認識する本件各発明に係る本件化合物のヒスタミン遊離抑制効果は、本件明細書記載の実験(ヒト結膜肥満細胞を培養した細胞集団に薬剤を投じて同細胞からのヒスタミン遊離抑制率を測定する実験)において、本件化合物(シス異性体)のヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制率が、30μMから2000μMまでの濃度範囲内において濃度の増加とともに上昇し、1000μMでは66.7%という高いヒスタミン遊離抑制効果を示し、その2倍の濃度である2000μMでも92.6%という高率を維持していたというものであり、これに対して、抗アレルギー薬として知られるクロモグリク酸二ナトリウム及びネドクロミルナトリウムが、2000μMまでの濃度範囲でヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離を有意に阻害することができなかったというものである。
(4) 優先日当時の公知刊行物の記載
ア 引用例1及び引用例2には、本件化合物がヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制作用を有するか否か及び同作用を有する場合にどの程度の効果を示すのかについての記載はない。
・・・(略)・・・
3 原審は、上記事実関係等の下において、要旨次のとおり判断し、本件各発明の効果は当業者において引用発明1及び引用例2記載の発明から容易に想到する本件各発明の構成を前提として予測し難い顕著なものであるということはできないから、本件各発明の効果に係る本件審決の判断には誤りがあるとして、本件審決を取り消した。
前訴判決によれば、上記2(2)イのとおり、引用例1及び引用例2に接した当業者は引用発明1に係る化合物をヒト結膜肥満細胞安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものであるから、本件化合物がヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制作用を有すること自体は、当業者にとって予測し難い顕著なものということはできない。
また、優先日における技術水準として、本件化合物のほかに、所定濃度の点眼液を点眼することにより70%ないし90%程度の高いヒスタミン遊離抑制率を示す他の化合物が上記2(4)イのとおり複数存在すること(以下、これらの化合物を「本件他の各化合物」という。)、その中には2.5倍から10倍程度の濃度範囲にわたって高いヒスタミン遊離抑制効果を維持する化合物も存在することが知られていたことなどの諸事情を考慮すると、本件明細書に記載された、本件各発明に係る本件化合物を含有するヒト結膜肥満細胞安定化剤のヒスタミン遊離抑制効果が、当業者にとって当時の技術水準を参酌した上で予測することができた範囲を超える顕著なものであるということはできない。
4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
上記事実関係等によれば、本件他の各化合物は、本件化合物と同種の効果であるヒスタミン遊離抑制効果を有するものの、いずれも本件化合物とは構造の異なる化合物であって、引用発明1に係るものではなく、引用例2との関連もうかがわれない。そして、引用例1及び引用例2には、本件化合物がヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制作用を有するか否か及び同作用を有する場合にどの程度の効果を示すのかについての記載はない。このような事情の下では、本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということから直ちに、当業者が本件各発明の効果の程度を予測することができたということはできず、また、本件各発明の効果が化合物の医薬用途に係るものであることをも考慮すると、本件化合物と同等の効果を有する化合物ではあるが構造を異にする本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみをもって、本件各発明の効果の程度が、本件各発明の構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであることを否定することもできないというべきである。
しかるに、原審は、本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということ以外に考慮すべきとする諸事情の具体的な内容を明らかにしておらず、その他、本件他の各化合物の効果の程度をもって本件化合物の効果の程度を推認できるとする事情等は何ら認定していない。
そうすると、原審は、結局のところ、本件各発明の効果、取り分けその程度が、予測できない顕著なものであるかについて、優先日当時本件各発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができなかったものか否か、当該構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであるか否かという観点から十分に検討することなく、本件化合物を本件各発明に係る用途に適用することを容易に想到することができたことを前提として、本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみから直ちに、本件各発明の効果が予測できない顕著なものであることを否定して本件審決を取り消したものとみるほかなく、このような原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない。
5 以上によれば、原審の上記判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法の違反がある。論旨は、この趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件各発明についての予測できない顕著な効果の有無等につき更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。』
[コメント]
特許・実用新案審査基準には、「進歩性が肯定される方向に働く要素」として、引用発明と比較した有利な効果が挙げられ、発明特定事項(構成)によって奏される効果のうち、引用発明の効果と比較して有利なものをいい、このような効果を参酌して、進歩性の有無を判断することが記されている。特に化学分野、とりわけ、医薬用途の分野においては作用効果が重要となる。
特許庁は、本件発明と引用発明との相違点につき容易に想到できたとしても、本件化合物の効果が、格別顕著な効果を有していることを理由に、本件発明が容易想到ではないとの本件審決を下した。
一方、原審では、本件化合物と構造を異にする本件他の化合物に基づく本件発明と同種の効果が優先日当時に知られていたことから、当時の技術水準を参酌して、本件発明が予測できない顕著な効果を有するものであることを否定し、本件審決を取り消す原判決を下している。
しかし、本判決(最高裁判決)では、「本件発明の効果が、化合物の医薬用途に係るものであることをも考慮する」とあることから、構造を異にする本件他の化合物に基づく同種の効果が知られていたとしても、本件発明の構成から、本件発明が顕著な効果を有するのか否かを十分に検討することなく、本件発明の作用効果に基づく進歩性の判断を行うことには、法令の解釈適用に誤った違法があると判断したことは妥当であると考える。特に、化学や医療用途の分野において、化合物を取り扱う発明の場合、化合物の一部の構造の違いにより、発明の作用効果が大きく異なることがあるため、作用効果の程度も、進歩性の判断材料において重要となる。
以上
(担当弁理士:西﨑 嘉一)

平成30年(行ヒ)第69号「局所的眼科用処方物」事件

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