IP case studies判例研究
審決取消訴訟等
平成30年(行ケ)第10055号「散乱光式煙感知器」事件
名称:「散乱光式煙感知器」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成30年(行ケ)第10055号 判決日:令和元年7月22日
判決:審決取消
特許法29条2項
キーワード:引用発明の認定、相違点の判断、進歩性
判決文:http://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/847/088847_hanrei.pdf
[概要]
引用文献に記載された引用発明の構成の説明に整合性がないので、その構成は技術的思想を認識できないとされ、引用発明の認定の誤りに基づく相違点の看過があることから、本件発明の進歩性を否定した審決を取り消した事例。
[事件の経緯]
原告は、特許第4010455号の特許権者である。
被告が、当該特許の請求項1~8に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2016-800079号)を請求し、原告が訂正を請求したところ、特許庁が、当該特許を無効とする審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。
[本件発明1]
【請求項1(訂正後)】
検煙空間に向け、第1波長を発する第1発光素子と、第1波長とは異なる第2波長を発する第2発光素子と、第1発光素子と第2発光素子から発せられる光を直接受光しない位置に設けられた受光素子とを備えた散乱光式煙感知器に於いて、
前記第1発光素子と受光素子の光軸の交差で構成される第1散乱角に対し、第2発光素子と受光素子の光軸の交差で構成される第2散乱角を大きく構成し、
第1発光素子から発せられる第1波長に対し、第2発光素子から発せられる第2波長を短くし、前記第1発光素子による煙の散乱光量と、第2発光素子による煙の散乱光量とを比較することにより煙の種類を識別することを特徴とする散乱光式煙感知器。
[審決]
審決では、下記の一致点を認定した上で、甲1発明及び甲第3号証の記載から理解できる技術事項に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、本件発明1は進歩性を有さないと判断された。
[本件発明1と甲1発明との一致点(訂正箇所のみ記載)]
甲1発明における「振幅信号」は、「各波長の散乱光の各パルスに応答して」生成されたものであり、該「散乱光」は「前記煙粒子感知区画内の煙粒子で散乱した光」だから、甲1発明の「長波長光からの振幅信号と短波長光からの振幅信号との比を比較すること」は、本件発明1の「前記第1発光素子による煙の散乱光量と、第2発光素子による煙の散乱光量とを比較すること」に相当する。甲1発明の「煙粒子の大きさ」は、煙粒子の種類の1要素であるから、甲1発明の「粒子の大きさを判定」することは、本件訂正発明1の「煙の種類を識別すること」に相当する。
[取消事由]
1.引用発明の認定の誤りに基づく相違点の看過(無効理由2)
2.相違点1の容易想到性判断の誤り(無効理由2)
3.手続違背
※以下、取消事由1についてのみ記載する。
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
2 取消事由1(引用発明の認定の誤りに基づく相違点の看過)について
『(2) 引用発明の認定
・・・(略)・・・
③ レイリーの理論から、浮遊粒子の所与の質量濃度において、長波長光は、小さな粒子の場合に小さな振幅信号(a low amplitude signal)を生成し、大きな粒子の場合に大きな振幅信号(a large amplitude signal)を生成することになる。
④ 短波長光は、大小の粒子いずれの場合にも、相対的に等しい振幅信号(a relatively equal amplitude signal)を生成することになる。
との記載に続いて、
⑤ 「したがって、信号の比を比較することにより(by comparing the ratio of the signals)、粒子が大きいか小さいかを判定することができる。」
との記載がある(以下、これらを、「記載①」などという。下線は裁判所による。)。
・・・(略)・・・
イ 本件記載の技術的意義について
・・・(略)・・・
(イ)本件記載の技術的意義
a レイリー理論を前提とした場合
記載④には、「短波長光は、大小の粒子いずれの場合にも、相対的に等しい振幅信号を生成することになる」という記載があり、この記載は、記載⑤の前提となっている。
しかし、審決も指摘しているとおり、レイリーの理論からすれば、質量濃度を一定とした場合、長波長光が、小さな粒子の場合に小さな振幅信号を生成し、大きな粒子の場合に大きな振幅信号を生成するとすれば、短波長光は、長波長光よりさらに小さな粒子についても、粒子の大きさに比例した振幅信号を生成することとなり、大小の粒子いずれの場合にも相対的に等しい振幅信号を生成するとはいえない。
そうすると、レイリーの理論から、記載④のようにいうことはできず、記載④を記載③及び記載⑤と整合的に説明することはできない。
b ミー散乱領域に関する理論を考慮した場合
そこで、審決は、ミー散乱領域も考慮すれば、記載④に矛盾はないとする。すなわち、「α<0.3の領域における散乱光強度は粒径の3乗に比例し、α>5の領域における散乱光強度は粒径に反比例することからすると、α<0.3の領域の方が、α>5の領域よりも散乱光強度に対する粒径の影響が大きいものといえる。そして、同じ粒径の粒子に対して光を当てた場合、長波長の光を当てた場合の方が、短波長の光を当てた場合よりも粒径パラメーターαが相対的に小さくなるから、長波長の光を当てた場合の散乱光強度との関係はα<0.3寄りに、短波長の光を当てた場合の散乱光強度との関係はα>5寄りに位置するものと理解できる。したがって、長波長の場合に比べ、短波長の光を当てた場合の方が、粒子の大きさによって受ける影響の度合いは小さくなるので、『短波長光は、大小の粒子のいずれの場合にも、相対的に等しい振幅信号を生成することになる』といえる。」という趣旨の指摘をするのである。
しかし、仮にα<0.3に近い領域においては散乱光強度が粒径の3乗に比例する関係が成立し、α>5に近い領域においては散乱光強度が粒径に反比例する関係が成立するとしても、その間における散乱光強度と粒径との関係については、審決は何ら明らかにしていないのであるから、これによって、常に長波長光に比べ短波長光は、相対的に等しい振幅信号を生成するといえるかどうかは明らかではないといわざるを得ない。 ・・・(略)・・・
また、審決の見解は、散乱角の違いによるばらつきを考慮していないという点においても問題があるものといわざるを得ない。すなわち、・・・(略)・・・散乱光強度に対する粒径の影響は、散乱角θによって異なるといわざるを得ないのであるから、この点を考慮していない審決の見解には問題があるものといわざるを得ないのである・・・(略)・・・。
そうすると、審決の上記理解には問題があるといわざるを得ないから、ミー散乱領域を考慮したとしても、「長波長光が、小さな粒子の場合に小さな振幅信号を生成し、大きな粒子の場合に大きな振幅信号を生成するのに対し、短波長光が、大小の粒子いずれの場合にも相対的に等しい振幅信号を生成する」ということはできない。
c そして、他に記載④が成り立つことを裏付けるに足りるような根拠を見出すこともできないから、結局、記載④を記載③及び記載⑤と整合的に説明することはできないものといわざるを得ない。
そうすると、当業者は、甲1文献から、引用発明の争いのない構成において「長波長光からの振幅信号と短波長光からの振幅信号との比を比較することにより煙粒子の大きさを判定」するという技術的思想を認識することはできないものというべきである。
(3) 相違点の看過
以上のとおりであるから、本件発明1と引用発明は、相違点1のほかに、「本件発明1は、前記第1発光素子による煙の散乱光量と、第2発光素子による煙の散乱光量とを比較することにより煙の種類を識別する構成を有するのに対し、引用発明はこのような構成を有しない点」も相違点とするものといえる。本件発明2~6、8は本件発明1を直接ないし間接に引用するものであるから、上記に説示したところは、本件発明2~6、8にも妥当する。
そうすると、上記相違点の看過は、本件発明1~6、8についての特許を無効とした審決の結論に影響を及ぼすものであることが明らかであるから、取消事由1には理由がある。』
以上のように、相違点の看過があり(取消事由1に理由があり)、審決が取り消された。
[コメント]
本判決では、引用発明の認定において、本件発明1の発明特定事項に相当する甲1発明の構成の根拠となる記載に整合的な説明がされていない場合は、その構成は、技術的思想を認識することができないので、本件発明1の発明特定事項に相当するということはできないと判断された。当業者が実施できる発明を公開するという特許法の趣旨からすれば妥当な判断である。
出願時においては、当然のことであるが、発明特定事項の説明に整合性を持たせる記載を意識しなければならない。また、中間手続きなどにおいて、発明特定事項に相当する引用発明の構成の根拠となる記載に整合的な説明がされているか意識することも重要である。
以上
(担当弁理士:冨士川 雄)
平成30年(行ケ)第10055号「散乱光式煙感知器」事件
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