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令和元年(行ケ)第10160号「セルロース粉末」事件

名称:「セルロース粉末」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:令和元年(行ケ)第10160号 判決日:令和3年11月29日
判決:請求棄却
特許法36条6項1号等
キーワード:サポート要件
判決文:https://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/742/090742_hanrei.pdf
[概要]
セルロース粉末に関する発明で、請求項に規定されているパラメータの1つを導くためのレベルオフ重合度について、明細書には原料セルロースの数値しか記載がなかったものの、技術常識を踏まえ、サポート要件は満たされているとして審決を維持した事例。
[事件の経緯]
被告は、特許第5110757号の特許権者である。
原告が、当該特許の請求項1、2、及び6に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2018-800078号)を請求したところ、特許庁が請求不成立の審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を棄却した。
[本件発明]
【請求項1】(本件訂正発明1)
天然セルロース質物質の加水分解によって得られるセルロース粉末であって、平均重合度が150-450、75μm以下の粒子の平均L/D(長径短径比)が2.0-4.5、平均粒子径が20-250μm、見掛け比容積が4.0-7.0cm3/g、見掛けタッピング比容積が2.4-4.5cm3/g、安息角が54°以下のセルロース粉末であり、該平均重合度が、該セルロース粉末を塩酸2.5N、15分間煮沸して加水分解させた後、粘度法により測定されるレベルオフ重合度より5~300高いことを特徴とするセルロース粉末。
[審決]
以下の通り、サポート要件は満たされると判断された。
①本件出願の願書に添付された明細書(以下「本件明細書」という。甲1)の記載によれば、本件訂正発明1の課題は、成形性、流動性、崩壊性の諸機能をバランスよく併せ持つセルロース粉末を提供することにある、②本件明細書には、セルロース粉末の製造原料である天然セルロース質物質のレベルオフ重合度についての記載はあるが、実施例として製造されたセルロース粉末のレベルオフ重合度や差分要件(本件訂正発明1の「該平均重合度が、該セルロース粉末を塩酸2.5N、15分間煮沸して加水分解させた後、粘度法により測定されるレベルオフ重合度より5~300高いこと」との要件。以下同じ。)について明示的な記載はないものの、本件明細書の記載によれば、差分要件を満たしているないし満たしている蓋然性が高く、かつそれ以外の請求項1に規定する粉体物性が、請求項1の数値範囲を満足するセルロース粉末について、そのいずれも成形性、流動性、崩壊性の諸機能をバランスよく併せ持つセルロース粉末であることが記載されているといえる。
[取消事由]
取消事由1(サポート要件の判断の誤り)
[原告の主張]
(1)課題の認定等について
「成形性、流動性、崩壊性の諸機能をバランスよく併せ持つ」とは、「硬度170N以上」、「崩壊時間130秒以下」及び「安息角54°以下」の数値をすべて満たすことを意味するものであり、このようなセルロース粉末を提供することが本件訂正発明1の課題であると認定すべきである。そして、本件訂正発明1は、・・・(略)・・・及び「平均重合度とレベルオフ重合度との差分(差分要件)」という7つのパラメータの数値範囲を発明特定事項とするものであるが、当業者は、これらの数値範囲全体をカバーする具体例の開示なくして、上記課題を解決できると認識することはできない。本件明細書の発明の詳細な説明には、かかる具体例の開示はないから、当業者は、本件訂正発明1の上記課題を解決できると認識することはできない。
(2)差分要件について
本件訂正発明1の差分要件は、「該セルロース粉末」に関するレベルオフ重合度との差分であるにもかかわらず、本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたレベルオフ重合度は、いずれも「原料パルプ」のレベルオフ重合度であり、実施例及び比較例の「該セルロース粉末」のレベルオフ重合度は不明である。
「該セルロース粉末」と「原料パルプ」のレベルオフ重合度は、同じであるとは認められない。そうすると、差分要件だけをみても、本件明細書の発明の詳細な説明において、当該数値範囲内であれば、所望の効果(性能)が得られると当業者が認識できる程度に具体例が開示されているとはいえない。
[被告の主張]
(1)課題の認定等について
上記「成形性、流動性、崩壊性という諸機能をバランスよく併せ持つ」とは、・・・(略)・・・、「硬度170N」、「崩壊時間130秒以下」及び「安息角54°以下」という数値は、成形性、崩壊性、流動性という諸機能を個別で評価する場合に好適とみなせる範囲の指標にすぎないから、本件訂正発明1の課題を解決する上で、これらの数値を満たすことは必須ではない。
(2)差分要件の主張に対し、本件明細書記載の実施例及び比較例には、いずれも原料パルプのレベルオフ重合度が明記されている。また、乙2及び4には、天然の植物セルロース繊維中には結晶領域という酸に耐性を持つ領域が部分的に存在し、セルロース粉末を得るための一般的な加水分解条件の下では、結晶領域は分解されずに残る旨の記載がある。上記記載から、原料パルプのレベルオフ重合度とセルロース粉末のレベルオフ重合度はほぼ等しく、少なくとも両者は大きく異なるものではないことを理解できる。
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
『2 本件出願当時のレベルオフ重合度に関する技術常識について
・・・(略)・・・
(2)レベルオフ重合度について
ア 前記(1)の記載事項を総合すると、本件出願当時(出願日平成13年6月28日)、①「レベルオフ重合度」とは、セルロースを酸加水分解すると、その重合度は、酸加水分解初期に急激に200-300に低下した後ほぼ一定になり、このほぼ一定になった重合度を意味すること、②原料セルロースは、酸加水分解時に、原料セルロースの非結晶部分は酸で分解されやすいが、結晶部分は分解されずに残り、この分解されずに残った部分の化学構造と結晶構造は、原料セルロースのままであり、分解されずに残った部分の結晶領域の長さが「レベルオフ重合度」に対応することは、技術常識であったことが認められる。
・・・(略)・・・
そこで検討するに、原告の主張に沿うように、甲5には・・・(略)・・・
しかしながら、他方で、①甲5の11年後に発行された甲5の著者(O.A.Battista)を発明者に含む特許公報である乙15には・・・(略)・・・ことに照らすと、甲5の上記記載を踏まえても、本件出願当時、加水分解により分解されずに残った部分の化学構造と結晶構造は、原料セルロースのままであり、その結晶領域の長さが「レベルオフ重合度」に対応することが技術常識であったとの前記アの認定を左右するものではない。』
『3 取消事由1(サポート要件の判断の誤り)(無効理由2関係)について
(1) 本件訂正発明1の技術的意義について
ア 前記1(2)認定の本件明細書の開示事項によれば、・・・(略)・・・本件訂正発明1は、成形性、流動性、崩壊性の諸機能をバランスよく併せ持つセルロース粉末を提供することを課題とし、その課題を解決するための手段として、セルロース粉末の粉体物性である「平均重合度」、「粒子の平均L/D(長径短径比)」、「平均粒子径」、「見掛け比容積」、「見掛けタッピング比容積」、「安息角」及び「平均重合度とレベルオフ重合度との差分」を特定の数値範囲に制御する構成を採用することにより、全体として成形性、流動性、崩壊性の諸性質をバランスよく併せ持つという効果を奏するものとしたことに技術的意義があることの開示があるものと認められる。』
『(2) 本件訂正発明1のサポート要件の適合性について
・・・(略)・・・
(ア) 本件訂正発明1の「レベルオフ重合度」の意義について
本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)には、本件訂正発明1の「レベルオフ重合度」の意義について規定した記載はないが、本件明細書の【0015】に、「本発明でいうレベルオフ重合度とは2.5N塩酸、沸騰温度、15分の条件で加水分解した後、粘度法(銅エチレンジ73アミン法)により測定される重合度をいう。」との記載がある。上記記載は、本件訂正発明1の「レベルオフ重合度」を定義したものといえるから、本件訂正発明1の「レベルオフ重合度」は、2.5N塩酸、沸騰温度、15分の条件で加水分解した後、粘度法(銅エチレンジアミン法)により測定される重合度」をいうものと解される。・・・(略)・・・
(イ) ①について a 本件明細書には、実施例2ないし7及び比較例1ないし11のセルロース粉末について、それぞれの原料パルプ(市販SPパルプ、市販KPパルプ等)のレベルオフ重合度が記載されている(【0039】ないし【0047】)。前記(1)イ(ア)のとおり、本件出願当時、酸加水分解時に、非結晶部分は酸で分解されやすいが、結晶部分は分解されず残り、残った部分の化学構造と結晶構造は、原料セルロースのままであって、分解されずに残った部分の結晶領域の長さが「レベルオフ重合度」に対応することは技術常識であったことを踏まえると、本件明細書の上記実施例及び比較例記載のセルロース粉末のレベルオフ重合度は、原料パルプのレベルオフ重合度とおおむね等しいものと理解できる。・・・(略)・・・
b 加えて、本件明細書の表4には、実施例2ないし7及び比較例1ないし11のセルロース粉末の平均重合度の記載があることからすると、本件明細書に接した当業者は、上記セルロース粉末が差分要件を満たすかどうかを把握できるものと解される。また、本件明細書の表4には、「平均重合度」、「粒子の平均L/D(長径短径比)」、「平均粒子径」、「見掛け比容積」、「見掛けタッピング比容積」、「安息角」及び「平均重合度とレベルオフ重合度との差分」(差分要件)のいずれもが本件発明1の数値範囲内にある実施例2ないし7のセルロース粉末の円柱状成形体とそのいずれかが本件発明1の数値範囲外である比較例1ないし11とのセルロース粉末の円柱状成形体について、平均降伏圧[MPa]、錠剤の水蒸気吸着速度Ka、硬度[N]76及び崩壊時間[秒]が示されている。そして、実施例2ないし7のセルロース粉末は、いずれも、安息角が55°以下、錠剤硬度が170N以上、崩壊時間が130秒以下であり、・・・(略)・・・実施例2ないし7のセルロース粉末は、成形性、流動性及び崩壊性の諸機能をバランスよく併せ持つセルロース粉末であるということができる。したがって、当業者は、本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び本件出願時の技術常識から、実施例2ないし7のセルロース粉末は、本件発明1の課題を解決できると認識できるものと認められる・・・(略)・・・。
(ウ) ②について
本件明細書には、・・・(略)・・・「レベルオフ重合度からどの程度重合度を高めておく必要があるかということについては、5~300程度であることが好ましい。さらに好ましくは10~250程度である。5未満では粒子L/Dを特定範囲に制御することが困難となり成形性が低下して好ましくない。300を超えると繊維性が増して崩壊性、流動性が悪くなって好ましくない。」(【0016】)、「セルロース質物質をレベルオフ重合度まで加水分解してしまうと、製造工程における攪拌操作で粒子L/Dが低下しやすく成形性が低下するので好ましくない。…セルロース分散液の粒子は乾燥により凝集し、L/Dが小さくなるので、乾燥前の粒子の平均L/Dを一定範囲に保つことで高成形性でかつ崩壊性の良好なセルロース粉末が得られる。」(【0021】)との記載がある。これらの記載から、セルロース粉末がレベルオフ重合度まで加水分解されてしまうと、乾燥前のセルロース粒子のL/Dが低下しやすく、その後の乾燥工程でセルロース粒子が凝集して、得られるセルロース粉末のL/Dが小さくなり、L/Dが小さくなると成形性が低下することを理解できる。そして、本件訂正発明1の差分要件は、レベルオフ重合度までには重合度が低下しないように加水分解することを、セルロース粉末の平均重合度とレベルオフ重合度の差分(差分要件)で表し、その下限を「5」としたことを理解できるから、当業者は、本件訂正発明1の差分要件の数値範囲の全体にわたり、本件訂正発明1はその課題を解決できると認識できるものと認められる。・・・(略)・・・
(エ) まとめ
以上のとおり、本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び本件出願時の技術常識から、当業者は、本件訂正発明1の差分要件の数値範囲の全体にわたり、本件訂正発明1はその課題を解決できると認識できるものと認められるから、本件訂正発明1は、発明の詳細な説明に記載したものであることが認められる。』
以上のように、本件発明は、サポート要件を満たすとされた。
[コメント]
裁判所は、明細書に開示されている甲5文献だけでなく、甲5の論文の著者が発明者となっている乙15(甲5より11年後に公開)等の文献も考慮した上で、技術常識を踏まえると、セルロース粉末のレベルオフ重合度は、原料パルプのレベルオフ重合度と概ね等しいものと理解でき、明細書に接した当業者は差分要件を満たすかどうかを把握でき、サポート要件を満たすと判断した。
なお、同特許に対しては、東京地方裁判所:平成29年(ワ)第24598号(判決日:令和2年3月26日)の侵害訴訟において、サポート要件を満たさない為に本件特許は無効であるとの抗弁が認められている。当該訴訟では、特許権者側は、実験報告書を提出して、明細書を補完する主張もしていたが、裁判所は『優先日当時、本件明細書に記載された加水分解、攪拌、噴霧乾燥の工程を経た当該セルロース粉末について、本件加水分解条件下での重合度が原料パルプのそれと同じであるという技術常識の存否が問題となるところ、上記時点の上記実験結果によって同技術常識を認めることはできない。』と判示していた。
本判決及び上記侵害訴訟の控訴審(知的財産高等裁判所・令和2年(ネ)10029号、本件と同日の判決日)では、特許権者は、技術常識を構成する文献を提示し、サポート要件を満たすことを主張し、認められている。
出願当時から、請求項に特定されているパラメータ又は補正により請求項に挿入される可能性のある数値等は、明細書に記載しておくことが重要であるが、明細書に記載がない場合には、技術常識を構成する文献の提示で対処できる場合があることに留意したい。
以上
(担当弁理士:高山 周子)

令和元年(行ケ)第10160号「セルロース粉末」事件

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