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令和2年(行ケ)第10143号「塩化ビニリデン系樹脂ラップフィルム及びその製造方法」事件

名称:「塩化ビニリデン系樹脂ラップフィルム及びその製造方法」事件
審決(無効・不成立)取消請求事件
知的財産高等裁判所:令和2年(行ケ)第10143号 判決日:令和4年6月23日
判決:請求棄却
特許法36条6項1号
キーワード:サポート要件適合性
判決文:https://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/270/091270_hanrei.pdf
[概要]
当業者は、本件明細書の発明の詳細な説明の記載から、本件発明の「引裂強度」、「引張弾性率」及び「低温結晶化開始温度」を特定の数値範囲に制御することにより、本件発明の課題を解決できると認識できるものと認められるから、本件発明は、発明の詳細な説明に記載したものであると判断し、原告の請求を棄却した事例。
[特許請求の範囲]
[請求項1]
TD方向の引裂強度が2~6cNであり、かつ、MD方向の引張弾性率が250~600MPaである塩化ビニリデン系樹脂ラップフィルムであって、
温度変調型示差走査熱量計にて測定される低温結晶化開始温度が40~60℃であり、
塩化ビニリデン繰り返し単位を72~93%含有するポリ塩化ビニリデン系樹脂に対して、エポキシ化植物油を0.5~3重量%、クエン酸エステル及び二塩基酸エステルからなる群より選ばれる少なくとも一種の化合物を3~8重量%含有し、かつ、
厚みが6~18μmである、塩化ビニリデン系樹脂ラップフィルム。
[主な争点]
サポート要件の判断の誤り(取消事由1)
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
『原告は、本件発明の発明特定事項は、①「引裂強度」、②「引張弾性率」、③「低温結晶化開始温度」、④「塩化ビニリデン繰り返し単位」の含量、⑤「エポキシ化植物油」の含量、⑥「クエン酸エステル及び二塩基酸エステルからなる群より選ばれる少なくとも一種の化合物」の含量、⑦ラップフィルムの「厚みが6~18μm」の7個のパラメータで構成されているところ、本件審決は、①ないし③の3個のパラメータが本件発明の範囲にあれば本件発明の課題を解決できると認識できると判断したが、それならば、どうして本件発明を特定するために3個ではなく、7個のパラメータが必要なのか、説明が付かないし、本件明細書の記載を踏まえれば、①ないし③の3個のパラメータが本件発明の範囲にあるのみでは、当業者において本件発明の課題を解決できると認識することができないから、本件審決の上記判断は誤りであり、本件発明は、サポート要件に適合しない旨主張する。
そこで検討するに、特許法36条6項1号が、特許請求の範囲の記載が「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」(サポート要件)に適合するものでなければならないと規定した趣旨は、明細書の記載からみて広すぎる特許請求の範囲を認めることは、事実上公開していない発明に特許を与えることになるため、このような事態を防ぎ、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明の記載に実質的に裏付けられていなければならないとしたものと解される。かかる同号の趣旨に鑑みると、特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合しないことを主張する場合には、特許請求の範囲に記載された特定の発明特定事項(物の発明の場合においては、例えば、素材、その形状、含有量や物性の数値範囲、用途等)との関係において、特許請求の範囲の記載が発明の詳細な説明の記載に実質的に裏付けられていないことを具体的に指摘する必要があるというべきである。
しかるところ、原告は、①ないし③の発明特定事項のパラメータが本件発明の範囲にあるのみでは、当業者において本件発明の課題を解決できると認識することができないと主張するのみで、特許請求の範囲(請求項1)に記載された特定の発明特定事項との関係において、特許請求の範囲の記載が発明の詳細な説明の記載に実質的に裏付けられていないことを具体的に指摘するものではないから、この点において、原告の上記主張は主張自体理由がない。』
『原告は、①本件発明の「引裂強度」の数値範囲は、「2~6cN」であるが、「3cNを超え6cNまで」の範囲については、実施例による裏付けを欠いていること、本件発明の「低温結晶化開始温度」については、「低温結晶化開始温度」という用語自体が、極めて特殊なものであり、「低温結晶化開始温度」のラップフィルムの性状への影響については、技術常識といえる知見は存在せず、まして「塩化ビニリデン系樹脂」からなるラップフィルムへの影響については、公然知られた知見はないことからすると、当業者は、本件明細書の発明の詳細な説明の記載から、本件発明の「引裂強度」の数値範囲のうち、少なくとも「3cNを超え6cNまで」の範囲については、「低温結晶化開始温度」の「40~60℃」の数値範囲との関係において、本件発明の課題を解決できると認識することはできない、・・・(略)・・・として、本件発明はサポート要件に適合しない旨主張するので、以下において判断する。
・・・(略)・・・
a 前記(ア)のとおり、本件明細書の【0038】の記載から、「TD方向の引裂強度」が、「2cN以上」であれば、「特に巻回体からラップフィルムを引き出す際の裂けを低減でき、また、ラップフィルム使用時の意図しない裂けトラブルを抑制」することができ、「6cN以下」であれば、「化粧箱に付帯する鋸刃でフィルムをTD方向にカットする際に裂きやすく、カット性が向上する」ことから、「本実施形態のラップフィルム」(本件発明)のTD方向の引裂強度を「2~6cN」の範囲としたことを理解できる。
また、本件明細書には、TD方向の引裂強度が「2.4cN」ないし「3.0cN」の範囲の本件発明の実施例(実施例1ないし6)では、「裂けトラブル抑制効果」の評価結果が「◎」又は「○」、「カット性」の評価結果がいずれも「◎」であったことが示されており、「塩化ビニリデン系樹脂ラップフィルムのフィルム切断刃によるカット性を維持しつつ、巻回体からのフィルム引き出し時、及び化粧箱の中に巻き戻ったフィルム端部の摘み出し時の裂けトラブルを低減する」という本件発明の効果が確認されている。
一方、本件明細書には、「3cNを超え6cNまで」の範囲については実施例の記載がないが、裂けトラブルについては、上記【0038】の記載から、「TD方向の引裂強度」を「2cN以上」に高くすれば、裂けトラブルを抑制できることを理解できるから、「3cNを超え6cNまで」の範囲のものも、裂けトラブルを低減できることを理解できる。
また、「カット性」については、本件明細書の【0009】の「裂けトラブルを抑制するためにフィルムを厚くする等の手法によって、フィルムの引裂強度を高くすることは可能であるが、フィルムがカットしにくくなり、使い勝手が悪くなっていた。」との記載に照らすと、フィルム切断刃によるカット性それ自体を向上させるというよりも、引裂強度を高くするためにフィルムを厚くする等の手法によってカット性を低下させることなく、「カット性を維持」することにあると理解できる。そして、上記【0038】の記載から、「6cN以下」であれば、「化粧箱に付帯する鋸刃でフィルムをTD方向にカットする際に裂きやすく、カット性が向上する」ことを理解できるから、「3cNを超え6cNまで」の範囲のものも、カット性を維持できることを理解できる。
以上によれば、当業者は、本件明細書の発明の詳細な説明の記載から、本件発明の「TD方向の引裂強度」の「2~6cN」の数値範囲全体にわたり、「塩化ビニリデン系樹脂ラップフィルムのフィルム切断刃によるカット性を維持しつつ、巻回体からのフィルム引き出し時、及び化粧箱の中に巻き戻ったフィルム端部の摘み出し時の裂けトラブルを低減する」いう本件発明の効果を奏するものと認識できるものと認められるから、上記効果を奏する塩化ビニリデン系樹脂ラップフィルムを提供するという本件発明の課題を解決できると認識できるものと認められる。
これに反する原告主張の①は採用することができない。』
『原告は、本件発明の「引張弾性率」の数値範囲は、「250~600MPa」であるが、「250MPaから500MPaまで」の範囲については、実施例による裏付けを欠いているから、本件明細書の発明の詳細な説明の記載から、本件発明の「引張弾性率」の数値範囲うち、少なくとも上記範囲については、本件発明の課題を解決できると認識することはできないとして、本件発明はサポート要件に適合しない旨主張する。
しかしながら、前記イ(ア)bのとおり、本件明細書の【0039】の記載から、「MD方向の引張弾性率」が、「250MPa以上」であれば、「鋸刃でフィルムをカットするために力を加える際、フィルムのMD方向への延びを抑制でき、鋸刃がフィルムに食い込みやすくでき、カット性が向上」し、「600MPa以下」であれば、「フィルムが軟らかく、鋸刃の形状に沿ってフィルムをきれいにカットでき、切断端面に多数の裂け目が発生するのを抑制できる」ことから、「本実施形態のラップフィルム」(本件発明)の「MD方向の引張弾性率」を「250~600MPa」の範囲としたことを理解できる。また、本件明細書には、MD方向の引張弾性率が「510MPa」ないし「540MPa」の範囲の本件発明の実施例(実施例1ないし6)では、「裂けトラブル抑制効果」の評価結果が「◎」又は「○」、「カット性」の評価結果がいずれも「◎」であったことが示されており、「塩化ビニリデン系樹脂ラップフィルムのフィルム切断刃によるカット性を維持しつつ、巻回体からのフィルム引き出し時、及び化粧箱の中に巻き戻ったフィルム端部の摘み出し時の裂けトラブルを低減する」という本件発明の効果が確認されている。
一方、本件明細書には、「250MPaから500MPaまで」の範囲については実施例の記載がないが、上記【0039】の記載が不合理であることをうかがわせる証拠はないから、上記【0039】の記載から、上記範囲のものについても、本件発明の上記効果を奏するものと理解できる。
以上によれば、当業者は、本件明細書の発明の詳細な説明の記載から、本件発明の「引張弾性率」の「250~600MPa」の数値範囲全体にわたり、本件発明の上記効果を奏するものと認識できるものと認められるから、上記効果を奏する塩化ビニリデン系樹脂ラップフィルムを提供するという本件発明の課題を解決できると認識できるものと認められる。
したがって、原告の上記主張は理由がない。』
『原告は、①「低温結晶化開始温度」の「塩化ビニリデン系樹脂」への影響について、公然知られた知見がないことを踏まえると、当業者は、本件明細書の発明の詳細な説明の記載から、「低温結晶化開始温度」を「40~60℃」の数値範囲とすることにより、本件発明が裂けトラブル抑制効果を奏することを認識することができない、②本件明細書の記載によれば、本件発明の「低温結晶化開始温度」は、「流通・保管時」の値と解されるが、一方で、本件明細書の記載において、ラップフィルムが製造された後の「流通・保管時」の低温結晶化開始温度の挙動は一切明らかではないし、「製造時」から「流通・保管時」を経て、低温結晶化開始温度を「40~60℃」に調節する方法についても明らかではないこと、本件明細書記載の実施例1ないし6は、いずれも「流通・保管時」の条件が「28℃に設定した恒温槽にて1ヶ月間保管したもの」という特定の条件におけるものであり、それ以外の「流通・保管時」の条件下においては、低温結晶化開始温度が「40~60℃」の範囲になるとは限らないこと、本件明細書の記載からは、ラップフィルムの製造後の「流通・保管時」における流通・保管条件なども不明であり、かつ、それらの流通・保管条件による「低温結晶化開始温度」の挙動に与える影響も不明であることからすると、当業者は、本件明細書の記載に基づいて、ラップフィルムの低温結晶化開始温度が、「流通・保管時」において、「40~60℃」に属するかどうかを予測することができないから、裂けトラブルの抑制やカット性の向上という本件発明の課題を解決することができると認識することも困難であるとして、本件発明は、サポート要件に適合しない旨主張する。
しかしながら、①については、前記イ(イ)bで説示したとおり、本件明細書の記載から、本件発明の「低温結晶化開始温度」の意味、「低温結晶化開始温度」を「40~60℃」の範囲に制御することにより、「巻回体からのフィルム引き出し時、及び化粧箱の中に巻き戻ったフィルム端部の摘み出し時の裂けトラブル」の発生を抑制する機序を理解できるから、原告主張の①は、採用することができない。
次に、②については、本件明細書の【0044】には、「ラップフィルム製造後にガラス転移温度以下である-30℃で保管した場合」、「すなわち、ラップフィルムが製造後に全く熱を受けていないとみなせる場合の低温結晶化開始温度は40℃」であったことの記載がある。この記載から、低温結晶化開始温度は、ラップフィルムが製造された後、外部から熱を受けることによって「40℃」から変化するものと理解できる。そして、本件明細書の実施例1ないし6は、製造直後のラップフィルムの巻回体を28℃に設定した恒温槽で1か月保管したものであるが、低温結晶化開始温度が43℃から53℃までの範囲にあり、本件発明の数値範囲を満たすものである。
そして、上記各実施例の上記の保管条件は、「ラップフィルムの出荷後の流通、及び家庭での保管を想定」した(【0059】)ものであり、この条件の設定自体は、出荷後の流通及び家庭での保管を想定したものとして自然なものである。
そうすると、当業者は、上記【0044】及び【0059】の記載と上記各実施例の記載から、ラップフィルムが出荷後の流通及び家庭での保管の過程で熱を受けると、低温結晶化開始温度が40℃から上昇することを理解し、上記各実施例の上記保管条件のみならず、他の保管条件であっても、一般的な流通及び家庭での保管の条件(温度及び保管する時間)の範囲に沿うものであれば、低温結晶化開始温度が「40~60℃」の範囲内に収まるラップフィルムを作成することができると認識できると認められる。
したがって、原告の上記主張は、その前提において採用することができない。』
『以上によれば、当業者は、本件明細書の発明の詳細な説明の記載から、本件発明の「引裂強度」、「引張弾性率」及び「低温結晶化開始温度」を特定の数値範囲に制御することにより、本件発明の課題を解決できると認識できるものと認められるから、本件発明は、発明の詳細な説明に記載したものであることが認められる。
したがって、本件発明がサポート要件に適合するとした本件審決の判断に誤りはないから、原告主張の取消事由1は理由がない。』
[コメント]
確かに、本件発明ではパラメータ(数値範囲)を満たす実施例に偏りがあり、パラメータ全範囲でサポート要件を満たすか否かに争いが生ずる虞がある。しかしながら、実施例および本件明細書の記載内容を参照すると、本件発明の課題を解決する機序は十分に理解できるため、本件発明はサポート要件を満たすとの裁判所の判断は妥当と思われる。なお、本件発明は「温度変調型示差走査熱量計にて測定される低温結晶化開始温度」を規定するパラメータ発明であり、恐らくこの規定により、出願当初から新規性および進歩性が認められている。新規のパラメータを規定した発明を出願する意義が高いことを改めて理解できる事件と思われる。
以上
(担当弁理士:山下 篤)

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