IP case studies判例研究
審決取消訴訟等
令和4年(行ケ)第10037号「空調服の空気排出口調整機構」事件
名称:「空調服の空気排出口調整機構」事件
審決(無効・不成立)取消請求事件
知的財産高等裁判所:令和4年(行ケ)第10037号 判決日:令和5年2月7日
判決:審決取消
特許法29条2項
キーワード:公然実施発明、公然実施発明の課題の認定
判決文:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/755/091755_hanrei.pdf
[概要]
複数の特許公報の記載から、本件出願日当時、周知かつ自明の課題が存在したものと認定し、主引例であるカタログ及び取扱説明書の記載から、主引用発明(公然実施発明)に接した本件出願日当時の当業者は、当該周知かつ自明の課題を認識するものと認めるのが相当であるとした上で、主引用発明から認識される課題と副引用発明が解決する課題は、共通すると認めるのが相当であるとして、本件発明の進歩性を肯定した審決が取り消された事例。
[特許請求の範囲]
【請求項3】
送風手段を用いて人体との間に形成された空気流通路内に空気を流通させる空調服の襟後部と人体の首後部との間に形成される、前記空気流通路内を流通する空気を外部に排出する空気排出口について、その開口度を調整するための空気排出口調整機構において、
第一取付部を有し、前記空調服の服地の内表面であって前記襟後部又はその周辺の第一の位置に取り付けられた第一調整ベルトと、
前記第一取付部の形状に対応して前記第一取付部と取り付けが可能となる複数の第二取付部を有し、前記第一調整ベルトが取り付けられた前記第一の位置とは異なる前記襟後部又はその周辺の第二の位置に取り付けられた第二調整ベルトと、
を備え、
前記第一取付部を前記複数の第二取付部の少なくともいずれか一つに取り付けることで前記空気流通路内を流通する空気の圧力を利用することにより、前記襟後部と人体の首後部との間に、複数段階の予め定められた開口度で前記空気排出口を形成することを特徴とする空気排出口調整機構。
[主な争点]
本件公然実施発明による進歩性欠如についての判断の誤り・無効理由3関係(取消事由3)
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
『(2) 本件発明3と本件公然実施発明との対比
・・・(略)・・・
(カ) 以上によると、相違点1に係る本件発明3の構成の容易想到性の判断に当たっては、空気排出口の開口度を調整するための手段(空気排出口調整機構)に係る次の各点(以下、これらの各点を併せて「本件相違点」という。)を検討すれば足りるというべきである。
a 本件発明3の「第一調整ベルト」は、「第一取付部を有」するのに対し、本件公然実施発明の「紐1」は、そのような構成を備えない点
b 本件発明3の「第二調整ベルト」は、「前記第一取付部の形状に対応して前記第一取付部と取り付けが可能となる複数の第二取付部を有」するのに対し、本件公然実施発明の「紐2」は、そのような構成を備えない点
c 空気排出口の形成に関し、本件発明3は、「前記第一取付部を前記複数の第二取付部の少なくともいずれか一つに取り付けることで」形成するのに対し、本件公然実施発明は、そのような構成を備えない点
d 空気排出口の開口度に関し、本件発明3は、「複数段階の予め定められた」ものであるのに対し、本件公然実施発明は、そのような構成を備えない点
(キ) この点に関し、被告は、本件発明3と本件公然実施発明との相違点を認定するに当たっては、「空調服の襟後部と人体の首後部との間に形成される空気排出口の開口度を複数段階に調整すること」と「長さを調整する機構(第一取付部、第二取付部、第一調整ベルト及び第二調整ベルトに係る構成)」とをまとまりのある一体のものとして相違点とする必要があると主張する。
しかしながら、本件発明3のように空調服の空気排出口調整機構を構成する各部材とその用法やこれを用いた場合の結果を発明特定事項とする発明について、特許発明及び主引用発明が備える各部材自体に係る相違点(被告が主張する「長さを調整する機構」に係る相違点)と当該部材の用法やこれを用いた場合の結果に係る相違点(被告が主張する「空気排出口の開口度を複数段階に調整すること」に係る相違点)とを分析的に認定することが許されないとする理由はないし、また、この点をおくとしても、前記(カ)の本件相違点は、空気排出口の形成に関し、本件発明3が本件公然実施発明と異なり「前記第一取付部を前記複数の第二取付部の少なくともいずれか一つに取り付けること」によるとの構成を有することや、空気排出口の開口度に関し、本件発明3が本件公然実施発明と異なり「複数段階の予め定められた」ものであるとの構成を有することを捨象するものではない(前記(カ)c及びd)。
以上のとおりであるから、被告の上記主張を採用することはできない。
(3) 甲30に記載された発明
・・・(略)・・・甲30には、本件相違点に係る本件発明3の構成に相当する構成を全て含んだ介護用パンツの発明(以下「甲30発明’」という。)が記載されているものと認めるのが相当である。 (4) 甲30発明’の本件公然実施発明への適用
ア 技術分野の関連性
(ア) ・・・(略)・・・空調服と介護用パンツは、その形状や使用目的を異にするものではあるが、いずれも身体の一部を包んで身体に装着する「被服」であるという点(なお、この点は、被告も争うものではない。)では、関連性を有するものである。
(イ) この点に関し、被告は、甲30に記載された技術事項は空調服の空気排出口に関するものではないから、本件公然実施発明が属する技術分野と甲30に記載された技術事項が属する技術分野は完全に一致せず、両者の関連性は薄いと主張する。
しかしながら、空調服も被服である以上、空調服に係る当業者は、被服に係る各種の先行技術を参酌するのが通常であるといえるから、本件公然実施発明に甲30発明’を適用する動機付けがあるか否かの検討に当たって考慮すべき両者が属する技術分野の関連性につき、「空調服の空気排出口」という細部にわたってまで一致しなければ両者の関連性が薄いと解するのは、狭きに失するものとして相当ではない。
したがって、被告の上記主張を採用することはできない。
イ 課題の共通性
(ア) 本件公然実施発明から認識される課題
・・・(略)・・・
e 前記aないしdの各記載によると、本件出願日当時、被服の技術分野においては、2つの紐状部材を結んでつないで長さを調整することや、そもそも2つの紐状部材を結んでつなぐこと自体、手間がかかって容易ではないとの周知かつ自明の課題が存在したものと認められる・・・(略)・・・また、甲41に「首と襟足の間隔を広くし」との記載(前記(1)イ(イ))及び紐が首の後ろにある旨の図示(同)があることからすると、本件公然実施発明に接した本件出願日当時の当業者は、上記の課題を認識するものと認めるのが相当である。
(イ) 甲30発明’が解決する課題
前記(3)アの記載のとおり、甲30発明’は、「帯紐6a」に「ボタン7a」を、「帯紐6b」に複数の「ボタン7b」をそれぞれ設け、「ボタン7a」を複数ある「ボタン7b」のいずれか一つにはめ込むとの構成を採用することにより、「帯紐6a」及び「帯紐6b」の装着長さを調整し、もって、個人差のある腰回りの大きさに応じて介護用パンツ1を装着することを可能にするというものであるところ、甲30に装着の容易さについての記載(段落【0008】、【0009】、【0011】)があることや、前記(ア)eのとおりの周知かつ自明の課題が本件出願日当時に被服の技術分野において存在したとの事実も併せ考慮すると、本件出願日当時の当業者は、甲30発明’につき、これを2つの紐状部材を結んでつないで長さを調整することが手間で容易ではないとの課題を解決する手段として認識するものと認めるのが相当である。
(ウ) 前記(ア)及び(イ)のとおりであるから、本件公然実施発明から認識される課題と甲30発明’が解決する課題は、共通すると認めるのが相当である。
(エ)a この点に関し、被告は、本件公然実施発明の課題は空気排出口の開口部を形成することであり、甲30に記載された技術事項とは異質のものであり、かつ、異なると主張する。
しかしながら、前記(1)ア及びイの各記載のとおり、本件公然実施発明は、空調服の服地の内表面であって襟又はその周辺の第一の位置に取り付けられた「紐1」と、「紐1」が取り付けられた前記第一の位置とは異なる前記襟又はその周辺の第二の位置に取り付けられた「紐2」とを備え、「紐1」及び「紐2」を結ぶことによって、首と襟足との間に形成される空気排出スペースの大きさを調整するものであるところ、前記(ア)eのとおりの周知かつ自明の課題が本件出願日当時に被服の技術分野において存在したとの事実も併せ考慮すると、本件公然実施発明に接した本件出願日当時の当業者は、空気排出スペースの大きさを調整するための手段である「紐1」及び「紐2」を結んでつないで長さを調整することが手間で容易ではないことが本件公然実施発明の課題であると認識するのに対し、前記(イ)のとおり、本件出願日当時の当業者は、甲30発明’につき、これを2つの紐状部材を結んでつないで長さを調整することが手間で容易ではないとの課題を解決する手段として認識するものと認められるから、本件公然実施発明から認識される課題と甲30発明’が解決する課題は、共通すると認めるのが相当である。本件公然実施発明が空調服の首回りの空気排出スペースの大きさを調整するものであるのに対し、甲30発明’が介護用パンツの腰回りの大きさを調整するものであること、すなわち、両者が何を調整するのかにおいて異なることは、課題の共通性に係る上記結論を左右するものではない(両者は、紐状の部材の締結により被服が形成する空間の大きさを調整するとの目的ないし効果において異なるものではない。)。
したがって、被告の上記主張を採用することはできない。
・・・(略)・・・
ウ 本件公然実施発明に甲30発明’を適用することについての動機付けの有無
(ア) 前記ア及びイのとおりであるから、被服の技術分野に属する本件公然実施発明に接した本件出願日当時の当業者は、空気排出スペースの大きさを調整するための手段である「紐1」及び「紐2」を結んでつないで長さを調整することが手間で容易でないとの課題を認識し、当該課題を解決するため、同じ被服の技術分野に属する甲30発明’を採用するよう動機付けられたものと認めるのが相当である。
・・・(略)・・・
(5) 小括
以上によると、本件出願日当時の当業者は、本件公然実施発明に甲30発明’を適用して、本件相違点に係る本件発明3の構成に容易に想到し得たものと認めるのが相当であるから、本件出願日当時の当業者は、相違点1に係る本件発明3の構成にも容易に想到し得たものと認められる。よって、これと異なる本件審決の判断は誤りであり、取消事由3は、理由がある。』
[コメント]
本判決では、複数の特許文献の記載から、本件出願日当時、周知かつ自明の課題が存在したものと認定した上で、主引用発明の構成と主引例の記載とから、主引用発明(公然実施発明)に接した本件出願日当時の当業者は、当該周知かつ自明の課題を認識するものと認めるのが相当であるとした。それにより、主引用発明から認識される課題と副引用発明が解決する課題が、共通すると認めるのが相当であるとして、本件発明の進歩性が否定された。
ところで、カタログや取扱説明書等である公然実施発明の主引用発明に対して、特許文献である副引用発明を適用する動機付けが認められるハードルは、高いと言える。
一般的に、カタログや取扱説明書等に基づいて、公然実施発明である主引用発明の課題を認定することが難しいため、その結果、主引用発明に対して、特許文献である副引用発明を適用する動機付けが認められない、と判断される傾向がある。
それに対して、本判決では、①主引用発明に相当する構成に対して共通の課題が開示されている複数の特許文献の記載から、本件出願日当時、周知かつ自明の課題が存在したものと認定し、②当該認定と、当該課題に関連した主引例の記載とに基づいて、主引用発明に接した本件出願日当時の当業者は、当該周知かつ自明の課題を認識するものと認めるのが相当である、と判断された。
このように、カタログや取扱説明書等である公然実施発明の主引用発明に対して課題が認定されるためには、①主引用発明に相当する構成に対して、複数の文献(例えば、3~5つ以上)で共通の課題が記載されており、②主引例に、その課題を示唆するような事項が記載されている、という2点が必要だと考えられる。
カタログや取扱説明書等である公然実施発明を主引用発明として、特許発明の進歩性を否定したい場合に、本判決の論理構成が参考になる。
以上
(担当弁理士:鶴亀 史泰)
令和4年(行ケ)第10037号「空調服の空気排出口調整機構」事件
Contactお問合せ
メールでのお問合せ
お電話でのお問合せ