IP case studies判例研究

平成30年(ワ)第10590号「下肢用衣料」事件

名称:「下肢用衣料」事件
特許権侵害差止等請求事件
大阪地方裁判所:平成30年(ワ)第10590号 判決日:令和5年2月20日
判決:請求一部認容
関連条文:特許法70条1項及び2項
キーワード:構成要件充足性
判決文:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/987/091987_hanrei.pdf

[概要]
特許請求の範囲に記載の「腸骨棘点付近」について、明細書の記載及び技術常識に基づき、上前腸骨棘点及び下前腸骨棘点を含む一定の広がりを持った範囲であると解された結果、侵害が認められた事例。

[事件の経緯]
原告は、特許第4213194号(本件特許権)の特許権者である。
裁判所は、被告製品が本件特許権の構成要件を充足すると判断し、差止め、被告製品の廃棄、及び原告が主張する損害額の一部について認容した。

[本件発明]
【請求項1】
A 大腿部が挿通する開口部の湾曲した足刳りとなる足刳り形成部を備えた前身頃と、
B この前身頃に接続され臀部を覆うとともに前記前身頃の足刳り形成部に連続する足刳り形成部を有した後身頃と、
C 前記前身頃と前記後身頃の各足刳り形成部に接続され大腿部が挿通する大腿部パーツとを有し、
D 前記前身頃の足刳り形成部の湾曲した頂点が腸骨棘点付近に位置し、
E 前記後身頃の足刳り形成部の下端縁は臀部の下端付近に位置し、
F 前記大腿部パーツの山の高さを前記足刳り形成部の前側の湾曲深さよりも低い形状とし、
G 前記足刳り形成部の湾曲部分の幅よりも前記山の幅を広く形成し、
H 取り付け状態で筒状の前記大腿部パーツが前記前身頃に対して前方に突出する形状となることを特徴とする
I 下肢用衣料。

[争点]
争点1 被告製品が構成要件Dを充足するか
争点2 被告製品が構成要件Hを充足するか
争点3 本件特許に明確性要件違反(特許法36条6項2号)の無効理由が存するか
争点4 原告の被った損害額
*以下では、争点1,2についてのみ言及する。

[裁判所の判断]
『2 争点1(被告製品が構成要件Dを充足するか)について
(1) 「腸骨棘点付近」の意義
ア 特許請求の範囲の記載
本件発明の特許請求の範囲の記載によれば、本件発明の「前身頃」は、「大腿部が挿通する開口部の湾曲した足刳り」となる「足刳り形成部」を備え(構成要件A)、当該「前身頃の足刳り形成部」の「湾曲した頂点」が「腸骨棘点付近」に位置すること(構成要件D)が理解できる。また、構成要件Dの「腸骨棘点付近」は、その文言から、「腸骨棘点」の「付近」であることが理解できる。
当該「腸骨棘点」が上前腸骨棘を意味することについては当事者間に争いがないものの、本件発明の特許請求の範囲には、「腸骨棘点付近」の意義について規定した記載はない。
イ 本件明細書の記載
(ア) 本件明細書には、「腸骨棘点付近」及び本件発明の下肢用衣料の形状等に関し、次のとおりの記載がある。
足刳り形成部は、身体の転子点付近から腸骨棘点付近を通り股底点脇付近に至る湾曲した足刳り部分と、前記転子点付近から股底点脇まで膨らんだ曲線で臀部裾ラインを包み込み、且つ臀部裾部分に密着する形状である(【0009】)。
・・・(略)・・・
図3はスパッツ10を展開した状態を示したものであり、前身頃12は、ウエスト部20と、ウエスト部20の両側の大腿部付け根の腸骨棘点a付近で、ウエスト部20に対してほぼ直角に裁断された腰部前側縁22が設けられている。腰部前側縁22の身体前中央側には、腰部前側縁22の下端部から連続して切り欠かれた一対の足刳り部を形成する足刳り形成部24が
各々設けられている(【0015】)。
スパッツ10の製造方法は、…一連に連結された各足刳り形成部24、25、32、46に大腿部パーツ18の足付根部40を縫い合わせる(【0023】)。
縫い合わされたスパッツ10は、後身頃14の足刳り形成部32が丸く下方に回り込み、筒状に形成された大腿部パーツ18が前方の斜め下方に突出する立体形状となる。即ち、基本の立体形状が、着用者が前屈みに軽く屈曲した姿勢に沿う形状になっており、足の運動性に適した形状に形成される(【0025】)。
縫製されたスパッツ10を着用したとき、前身頃12の足刳り形成部24は、図1に示すように、股底点脇から上方に延出して足の付け根の腸骨棘点a付近を通過し、大腿部外側上方の転子点b付近の上方を通過して湾曲し、後側下向きに延出して、後身頃14の足刳り形成部32に連続する。…足刳り形成部24の一番高いところは腸骨棘点a付近である(【0026】)。
この実施形態のスパッツ10によれば、伸縮性のある素材を使用し、臀部の生地分量を確保し、足刳りのパターンの形状の工夫により、身体の腸骨棘点a付近から前方の生地の立体的方向性が確保されるため、着用時に股関節の前方への屈伸抵抗が少なく運動しやすく、疲れにくいものである(【0027】)。
(イ) 前記(ア)の記載からすれば、「腸骨棘点a付近」は「腸骨棘点付近」と同義であり、「大腿部付け根」又は「足の付け根」と表現される部位に位置すると理解できる(【0009】【0015】【0026】)。また、本件発明の下肢用衣料の足刳り形成部は、大腿部パーツとの縫合線と一致し(【0023】)、筒状に形成された大腿部パーツが腸骨棘点付近を頂点として前方斜め下方に突出する立体形状となることで、着用者が前屈みに軽く屈曲した姿勢に沿うこと(【0025】ないし【0027】)が理解できる。
以上を踏まえると、「腸骨棘点付近」とは、腹部と大腿部の境目であり、大腿部を屈曲したときに折れ曲がる部分に位置するものと解することができる。
ウ 技術常識等
人体の「腸骨」には、「腸骨棘」といわれる4つの棘(上前腸骨棘、下前腸骨棘、上後腸骨棘及び下後腸骨棘)がある。このうち、上前腸骨棘及び下前腸骨棘は、人体の正面側(腹側)に位置し、上前腸骨棘は腸骨稜の前端であり、上前腸骨棘から寛骨臼にたどる途中の前縁の膨らみが下前腸骨棘である(甲20(医学大辞典))。
また、証拠によれば、人体の「鼠径溝」は、「足と体幹との間の皺」(甲29)、「腹壁と大腿前面との境界」(甲43)、「下肢と腹部との境は前面では前腸骨棘から恥骨結合に向かって引いた直線で、この線は内部にある鼠径靭帯にほぼ一致した浅い溝である。これを鼠径溝といい、大腿を前に上げると皮膚がここで折れ曲がる。」(乙31)及び「大腿前面と腹壁との間の溝」(乙32)等と定義されていること、鼠径溝は鼠径靭帯よりも1~3センチメートル尾側(身体の下側)にあること(甲28、29。ただし、ほぼ一致すると表現する文献(乙31)もある。)、鼠径靭帯は上前腸骨棘から恥骨の間を張っていること(乙21、32、34、35)、下前腸骨棘は上前腸骨棘から2~3センチメートル下内方(身体の奥側)に位置していること(甲19、乙18)、股関節を屈曲する際の主動作筋である大腿直筋の近位付着部が下前腸骨棘であること(甲30、乙35)がそれぞれ認められる。
エ 検討
前記ア及びイのとおり、「腸骨棘点付近」とは、上前腸骨棘の「付近」を意味し、「大腿部付け根」又は「足の付け根」と表現される部位に位置し、腹部と大腿部の境目であり、大腿部を屈曲したときに折れ曲がる部分に位置することが理解できる。
そもそも、本件発明の下肢用衣料は、伸縮性を有する生地で作られていることに加え(【0014】)、衣料である以上、その形状が着用者の身体的個体差や実際の着用方法ないし着用状態に一定程度左右されることが当然に想定されているといえる。「腸骨棘点付近」のうち「付近」との文言も、足刳り形成部の湾曲した頂点の位置について「腸骨棘点」という指標を定めつつ、当該位置に完全に一致しない場合が当然に想定されることから、一定の幅を持つために付加された文言と理解できる。
そして、前記ウのとおり、人体の鼠径溝は、腹壁と大腿部との境界であり、大腿部を曲げた際に皮膚が折れ曲がる溝であると理解でき、本件明細書において腸骨棘点(上前腸骨棘)付近が位置する「大腿部付け根」又は「足の付け根」と表現される部位に一致するといえる。前記ウのとおり、鼠径溝は、上前腸骨棘から延びる鼠径靭帯とほぼ一致するか、その1~3センチメートル尾側に位置しているところ、下前腸骨棘が上前腸骨棘から下内方に2~3センチメートルの箇所に位置していること等を踏まえれば、下前腸骨棘も、概ね鼠径溝に沿った位置にあるといえる。そのため、「腸骨棘点付近」に下前腸骨棘が含まれる場合でも、大腿部を屈曲した姿勢に沿う立体形状に作られ、円滑な運動を可能とする下肢用衣料という本件発明の効果を奏するといえる。
・・・(略)・・・
以上より、「腸骨棘点付近」とは、上前腸骨棘を中心としつつ、下前腸骨棘付近をも含み、下前腸骨棘付近から外れた大転子の最も外側の点付近は含まないものと解される。
・・・(略)・・・
(2) 構成要件Dを備えるかどうかについて
ア 構成要件Dは、着用状態における本件発明の足刳り形成部の湾曲した頂点の位置を特定したものであるところ、前記のとおり下肢用衣料の着用状態は着用者の身体的個体差等に左右されることに鑑みると、その充足性の判断に当たっては、被告製品の設計時に想定されたであろう着用状態を前提として、検討することが相当である。
・・・(略)・・・
エ 被告製品は、身頃部のパーツと脚口部のパーツとの縫合線が鼠径溝に沿うように着用することを想定した製品であるといえ、被告製品の足刳り形成部の湾曲した頂点は、上前腸骨棘と下前腸骨棘の間、すなわち「腸骨棘点付近」に位置すると認められる。
したがって、被告製品は、構成要件Dを充足する。
(3) 上記判断の補足説明(被告の主張について)
被告は、被告製品を実際に消費者が着用する場合、被告製品の足刳り形成部の湾曲した頂点は、上前腸骨棘及び下前腸骨棘よりも下方にある転子点に近い位置にあると主張する。しかし、前記(1)エのとおり下肢用衣料の形状は着用者の身体的個体差や着用感に対する好み等に影響されるため、個別の着用者の具体的な着用状態をもってその充足性一般を判断することは相当でなく、主張は採用できない。
・・・(略)・・・
3 争点2(被告製品が構成要件Hを充足するか)について
(1) 構成要件Hについて
本件発明の特許請求の範囲の記載によれば、構成要件Hは、「取り付け状態で筒状の前記大腿部パーツが前記前身頃に対して前方に突出する形状となることを特徴とする」と規定され、下肢用衣料の構成及び縫製等に係るその余の条件が反映された最終形態(取付状態)として、筒状の大腿部パーツが前身頃に対して前方に突出する形状となる構成を備えることを規定していると理解できる。
(2) 被告製品について
証拠(甲3~8、23、24、40)によれば、被告製品を販売するウェブサイトでは、前記のとおり「平らなところに超立体ショーツを置くと、脚口がこんなにも立つんです。」、「脚口が超立体」という説明と共に、被告製品を平面に置いた状態で、大腿部パーツに相当すると解される筒状の「脚口」のうち、前身頃及び後身頃の各足刳り形成部の湾曲部分と縫合される山40a部分が、前身頃と同方向、すなわち前身頃に対して前方に立ち上がっている写真が掲載されている。また、原告が所持する被告製品の現物を水平に平置きした状態で撮影した写真撮影報告書においても、被告製品の大腿部パーツは、前身頃と同じ方向に立ち上がった状態であることが確認できる。
以上によれば、被告製品は、大腿部パーツと前身頃及び後身頃の各足刳り形成部が取り付けられた状態において、筒状の大腿部パーツが前身頃に対して前方に突出する形状となっていると認められる。
よって、被告製品は、構成要件Hを充足する。』

[コメント]
本事件における侵害の成否の主な争点は、本件発明の構成要件Dにおける「付近」の解釈である。
本件発明は、人の体の構造、動きに適した下肢衣料品を提供しようとするものであり、足刳り部の形状や、着用時における位置は重要な要素である。しかしながら、衣料品では、素材や、着用する人の体形等によって、特定の部分が着用している人のどの位置に来るのかが多少バラつくことになる。このため、やはり、着用時にどの部分がどの位置に来るのか、ということを特定することは極めて難しく、「付近」のような表現を用いて、一定程度の広がりを持たせるように記載することになるのであろう。
この上で、本件発明は、このような記載を採用しつつも、明細書において「腸骨棘点付近」について説明をしている。そして、原告は、各証拠に記載されている内容に基づいて合理的な主張を展開しており、概ね原告の主張が採用された本判決は妥当であると思われる。
技術分野にもよるところではあるが、「付近」や「周辺」といったような表現によって、一定の広がりを持たせるようにクレームを記載することは、決して少なくはない。このような表現を採用する場合には、本事件のような争いが生じることを想定し、技術常識や、明細書の記載によって、クレームの記載がどの範囲までカバーできるのかを、ある程度認識しておくことが重要であろう。
以上
(担当弁理士:植田 亨)

平成30年(ワ)第10590号「下肢用衣料」事件

PDFは
こちら

Contactお問合せ

メールでのお問合せ

お電話でのお問合せ