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令和5年(ネ)第10107号「プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対する抗原結合タンパク質」事件

名称:「プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対する抗原結合タンパク質」事件
特許権侵害損害賠償請求控訴事件
知的財産高等裁判所:令和5年(ネ)第10107号 判決日:令和7年4月16日
判決:原判決維持
特許法36条6項1号、特許法167条、民事訴訟法2条
キーワード:サポート要件、一事不再理
判決文: https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/092/094092_hanrei.pdf

[概要]
本件発明について、参照抗体と競合する抗体がいかなる場合でもPCSK9とLDLRとの結合を阻害するというメカニズムに関する開示はなく、当業者が当該抗体を中和抗体であると理解することは困難であり、サポート要件を満たさないとした事例。
無効審判においてサポート要件違反は認められないとする審決が確定し、差止め請求が認められていたとしても、本件訴訟において、審判請求人と同一の被控訴人が、あらためてサポート要件違反の主張をすることは、経緯を総合すれば、訴訟上の信義則に反するとは解されないし、特許法167条の趣旨に反するとも解されないとされた事例。

[特許請求の範囲](特許第5906333号)(ただし、訂正請求あり)
[本件発明1]
PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体。
[本件発明5]
請求項1に記載の単離されたモノクローナル抗体を含む、医薬組成物。

[主な争点]
‐サポート要件違反(無効理由)の有無
‐被控訴人によるサポート要件違反及び実施可能要件違反の主張が許されないものであるかいなか(争点2-6)

[裁判所の判断]
『2 争点2-1-1(サポート要件違反の有無)について
・・・(略)・・・
本件特許に係る発明の技術的意義は、参照抗体と競合する抗体であれば、参照抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体としての特性を有することを特定する点にあるというべきところ、・・・(略)・・・
ウ 以上のとおり、「PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する抗体」、あるいは「PCSK9との結合に関して、31H4抗体と競合する抗体」であれば、参照抗体である21B12抗体又は31H4抗体と同様に、LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して(具体的には、結晶構造上、抗体がLDLRのEGFaドメインの位置と重複する位置でPC SK9に結合して)、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節するものであるとはいえないから、「PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する抗体」あるいは「PCSK9との結合に関して、31H4抗体と競合する抗体」であれば、結合中和抗体としての機能的特性を有すると認めることもできない。なお、前記1(3)のとおり、本件特許に係る発明における「中和」とは、PCSK9とLDLRタンパク質結合部位を直接封鎖するものに限らず、間接的な手段(リガンド中の構造的又はエネルギー変化等)を通じてLDLRタンパク質に対するPCSK9の結合能を変化させる態様を含むものではあるが、「PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する抗体」、あるいは「PCSK9との結合に関して、31H4抗体と競合する抗体」であれば、上記間接的な手段を通じてLDLRタンパク質に対するPCSK9の結合能を変化させる抗体となることが、本件出願時の技術常識であったとはいえないし、本件明細書の発明の詳細な説明に開示されていたということもできない。
エ 以上の点は、B博士の供述書(1)(乙2の1)に記載された実証実験の結果及び同実証実験を踏まえたC博士の供述書(1)(乙2の2)からも裏付けられる。
・・・(略)・・・
オ 前記(3)のとおり、参照抗体と競合する抗体であれば、参照抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRタンパク質との結合中和抗体としての機能的特性を有することを特定した点に本件特許に係る発明の技術的意義があるというべきであって、参照抗体と競合する抗体に結合中和性がないものが含まれるとすると、その技術的意義の前提が崩れることは明らかである。本件のような事例において、結合中和性のないものを文言上除けば足りると解すれば、抗体がPCSK9と結合する位置について、例えば、PCSK9の大部分などといった極めて広範な指定を行うことも許されることになり、特許請求の範囲を正当な根拠なく広範なものとすることを認めることになるから、相当でない。』
『3 争点2-6(被控訴人によるサポート要件違反及び実施可能要件違反の主張が許されないものであるか否か)について
・・・(略)・・・
イ 特許法167条は、特許無効審判又は延長登録無効審判の審決が確定したときは、当事者及び参加人は、同一の事実及び同一の証拠に基づいてその審判を請求することができないことを定める規定であり、特許無効審判等の当事者が、侵害訴訟において同法104条の3第1項の無効の抗弁を主張することができないことを規定したものではない。しかし、特許法167条の趣旨は、先の審判の当事者及び参加人は、先の審判で主張立証を尽くすことができたにもかかわらず、審決が確定した後に同一の事実及び同一の証拠に基づいて紛争の蒸し返しをできるとすることが不合理であるため、同一の当事者及び参加人による再度の無効審判請求を制限することにより、紛争の蒸し返しを防止し、紛争の一回的解決を実現させることにあると解される。このような紛争の蒸し返しの防止及び紛争の一回的解決の要請は、無効審判手続においてのみ妥当するものではないから、無効審判請求の請求不成立の審決が確定した場合に、この審判請求をしたのと同一の当事者が、侵害訴訟において、同一の事実及び同一の証拠に基づいて、無効の抗弁を主張することが、特許法167条の趣旨に照らし、訴訟上の信義則に反して許されない場合はあり得ると解される。
・・・(略)・・・
以上のとおり、控訴人は、その意向により、同じ特許権に基づき、侵害訴訟として差止め等を求める訴訟(差止訴訟)と損害賠償を求める訴訟(本件訴訟)を分けて提起し、被控訴人は本件訴訟において二度目の防御のための主張立証活動が必要となったものであるところ、本件訴訟の事実審口頭弁論終結時(令和7年1月29日)までには、差止訴訟の事実審口頭弁論終結時(令和元年7月3日)までには生じていなかった事情、すなわち、リジェネロンによる第二次各無効審判請求(令和2年2月12日)とそれに対する請求不成立審決、第2回各審決取消訴訟の提起(令和3年8月13日) 第2回各審決取消訴訟における新証拠の提出と、上記請求不成立審決を取り消す知財高裁の判決の言渡し(令和5年1月26日) 最高裁による上告棄却及び上告不受理決定による同判決の確定(令和5年9月14日) 第二次各無効審判の再開という事情が生じたものである。
これらの事実を総合すれば、被控訴人が差止訴訟において理由1(前記第2の6(2))に相当するサポート要件違反の理由の主張をしたが、この理由が採用されず、差止訴訟においてサポート要件違反が認められなかったとしても、本件訴訟において、被控訴人が、理由1を含め、本件特許に係る発明がサポート要件違反であると主張することは、何ら蒸し返しに当たらず、この主張をすることが訴訟上の信義則に反するとは解されないし、特許法167条の趣旨に反するとも解されない。
エ また、本件訴訟で被控訴人が証拠として提出した、B博士及びC博士の各供述書(乙2の1・2)は、第2回各審決取消訴訟で提出されたが(同訴訟の甲2の1・2)、差止訴訟、第1回各審決取消訴訟では提出されていなかったものである(弁論の全趣旨)。B博士の供述書(1)(乙2の1)は2019年(令和元年)12月13日付け、C博士の供述書⑴(乙2の2)は同月16日付けで、いずれも、差止訴訟の事実審の口頭弁論終結時(令和元年7月3日)及び第1回各審決取消訴訟の事実審の口頭弁論終結時(平成30年10月10日)の後の作成日付であり、被控訴人又はサノフィ社において、これらの証拠又はこれらと同趣旨の証拠を差止訴訟の事実審の口頭弁論終結時又は第1回各審決取消訴訟の事実審の口頭弁論終結時以前に提出できたことをうかがわせる具体的な事情はない。』

[コメント]
本判決のサポート要件違反についての判断は、第二次無効審判の審決取消訴訟における知的財産高等裁判所の判断と同様であり、「参照抗体と競合する抗体」という構成に基づき、結合中和抗体としての機能的特性が明らかとはいえず、そのような技術的特性が明細書中で十分に裏付けられていないとされた。第一次無効審判の際には出されていなかった専門家の供述書の内容が判断に影響していると考えられる。すなわち、参照抗体と競合する抗体において、中和できない抗体が相当程度存在していることから、本件発明の技術的意義の前提が崩れ、本件発明の多様な抗体が明細書の発明の詳細な説明に記載されていたとは言えないと結論づけられた。技術的に共通する作用機序や結合部位の特性が参照抗体と同様である抗体を明確に定義できない場合には、参照抗体を基準にする意義はなく、サポート要件が満たされないとされた判断は妥当であると考えられる。抗体発明において機能的定義だけで表現する場合には、共通する作用機序の記載と確実な裏付けは重要である。
本判決では、特許法第167条が直接に侵害訴訟上の無効の抗弁を制限するものではないとしながら、一事不再理の趣旨が訴訟にも妥当し得ることを認めている。その上で、本件のように、前訴にはなかった新たな証拠が提出された場合は信義則違反には当たらないとの判断が示された。無効審判の審決が確定していても、前訴の差止訴訟で無効の抗弁が認められていなくても、損害賠償請求事件において、専門家の供述書等の新証拠に基づくサポート要件違反の主張が認められる余地があるということである。出願人や特許権者の立場からは、一度別事件でサポート要件を満たすとの審決が確定しても、新たな証拠に基づくサポート要件違反があり得るということに十分注意する必要がある。
以上
(担当弁理士:高山 周子)

令和5年(ネ)第10107号「プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対する抗原結合タンパク質」事件

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